Music, when Soft Voices die

デミアン (新潮文庫)

デミアン (新潮文庫)

キリスト教善悪二元論の支配する世界、ドイツの清廉潔白かつ厳格な家庭に、違和感を感じ上手く収まることのできないシンクレール少年は、自分が誤っていると感じ、身のやり場のなさに苦しみます。そこで出会う、年上の転校生デミアンに、その感覚は間違いではなく、自分達はケインの印を持つ者であり、神は悪魔をも内包するもので、卵は世界であり、卵から孵って飛び立つためには、まずその世界を破壊しなければならない、と教えられます。目を開かれるような思い、体験をしながら、シンクレールは徐々にデミアンの言葉を理解し、昔はことある毎に、デミアンに答えを求めた少年も、最後には、デミアンは自分の一部になっており、答えは自分の中にあることを知るのです。
Amazon.co.jp: デミアン (新潮文庫)の013さんのレビュー


chibinova: ヘッセの『デミアン』を要約してくれているこのレビューなんですけどね、こうして読むとまんま『少女革命ウテナ』じゃないですか。

zubi: ほんとうに。

chibinova: で、東洋思想というか、オリエンタリズムの源流という意味でグノーシス主義との関連をいろいろ考えてたわけですよ。そのへんを専門職である君にちょこっと解説してもらおうかなと。

zubi: そうなんだ。『デビルマン』も、誰だったか、文庫版のあとがきに、グノーシス主義との関係を説明していて、おもしろかったなあ。わたしもグノーシス主義そのものが専門ではないんだけれど。なんかものっそい大雑把な言い方をすれば、世界の創造主は愚かだった、なんて考え方もあるらしい。

chibinova: パチモンの神様なんでしょ、この世を作ったのが。

zubi: そうそう。で、真の知恵は別にある、と。

chibinova: 『デビルマン』にはグノーシス的に完全体であるところの両性具有が出てくるよね。飛鳥了がそうだったと思うけど。キリスト教では両性具有は悪魔なんだよね。天使は性別がないことになってる。

zubi: だな。で、それがキリスト教と結びついた時には、キリストが、その飛鳥了みたいな役割になると。

chibinova: いうたらプラトンの言うてたイデア界と現世みたいなもんでしょ。

zubi: プロティノスとか、ボエティウスとかにつながってゆくんだろうね。

chibinova: 前述のレビューだけど、卵が世界であるっていうのはどう解釈すればいいのかな。性悪説的に不完全であるところの世界から孵化してイデア界へみたいな意味だろうか。

zubi: そうだな。プラトンで言うなら、この世はイデアの影に過ぎないんだもんな。現実にある椅子は、椅子のイデアの不完全な影。でも、そういうのって、思春期的な物憂げな感情と、抒情的にマッチするんだろう。ロマン主義と新プラトン主義との親和性しかり。ネットで言う「厨二」だっけ?今ある世界はおれのほんとうの居場所じゃないんだ的な。エヴァンゲリオンも、そういう部分を美しくみごとに表現していたと思う。廃墟と美の葛藤というか。廃墟のプロセスそのものに美が浸み込んでくるというか。言葉遊びかもしれないけれど、エウアンゲリオン(よき知らせ/福音)というのも、グノーシス的な、「どこかでまちがった世界に、ほんとうの真実が告げられた」的な理解のほうがとっつきやすんだろうと思う。


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chibinova: そういや母親にもらったハイネだったと思うんだけど、廃墟に佇んで感傷的な物思いに耽る詩を読んだことがあって。ちょうど中学生ぐらいの年頃だったからその雰囲気に凄く酔ったことがあるなあ。なんというか、廃墟ってかつての活気とか繁栄を背景にしてるでしょ。そういう意味で直接的というよりは、想像力を喚起するものじゃん。

zubi: なるほど。19世紀のロマン主義と廃墟趣味は美的にからみあっているね。廃墟から完全なものを想起するんだけど、廃墟そのものの味わいも楽しむ。

chibinova: 自分の若かった頃を反芻して感傷に耽るのは傍目にかなり痛い行為という気がするけど、古代へ思いを馳せるのはなんかアリな感じだよね。あれはなんでだろうw でも『華麗なるギャツビー』だったっけ、若かりし頃ブイブイ言わせるけど、老いて孤独に自分の半生を思い返すってやつ。あれがグッとくるのは、没落ってフレーズが廃墟趣味と同じく感傷を呼ぶのかな。

zubi: 本質的には古代に思いを馳せるのも自分の過去を思い起こすのも、自分の時間的な存在の根源を振り返るという意味では共通する行為なんだと思うけどね。結局はかかる手間の問題だろな。自分の過去は安易にふり返ることができるけど、歴史はそれなりに努力がw

chibinova: まあキャラ次第って気もするよね。で、やっぱりSFなりファンタジーなり、オタクの根を作っているものって時間ネタが凄く多いよね。タイムリープとかループとか。北欧神話ギリシャ神話にも、時間の神様っていろいろいるし。

zubi: さっきのグノーシスの話に関連させるなら、「ほんものの」知恵に「さかのぼる」ことに、時間が大事な要素なんだろう。そういう意味じゃ、「厨二」なんて馬鹿にはできない。徹底的にふり返るなら、それは創造的な今の厚みになるから。

chibinova: 「私に還りなさい 生まれる前に あなたが過ごした大地へと」!!

zubi: なんか聞いたことあるせりふ。なんだっけw?

chibinova: 「魂のルフラン

zubi: ああそうだそうだ!むしろ「そんなもの懐古趣味だ。今が大事だ」と言い切ってリア充的な自己実現を偏重することのほうが危険かも。

chibinova: いやー、でも青春ど真ん中の少女が「私は今しか大事じゃないの」って言い切る潔さも捨てがたいですよこれがw

zubi: ああ、それもよいなあw

chibinova: SPEEDの「昨日なんて昔」に震えたもんw

zubi: そうだなあ。『害虫』も、まさに刹那、今の物語だったなあ。

chibinova: そういや、以前レンヌ・ル・シャトーの話をしたときに出てきたカタリ派グノーシスだっけ。あのちょい後に『ダ・ヴィンチ・コード』が大ヒットしたのにはちょっとびっくりしたわ。

zubi: そういうふうに、一見特異なテーマから語っていても、時代のニーズと呼応することはあると思う。「今」に生きるにしても、「昨日なんて昔」と言い切るには、つねに「今は不十分」という根底がなきゃならない。そういう意味ではロマン主義的な生き方と刹那的なものとは重なるね。

chibinova: じゃあ最後に、グノーシスヲタといえば、で忘れえぬグループの忘れえぬ曲を貼っておこう。