白樺派と星菫派の間で、小さな雌鹿よ、あなたは罠にかかった

松本隆の歌詞は、さながら耳で聴く少女漫画の世界です。色鮮やかな花や果実、星に月そして海、人間の住む社会の背景に退き、物言わぬ自然と共にある時にだけ、少女は幸福なのです。なぜなら、少女は一度たりとも社会の中に迎え入れてもらったことはなかったし、むしろ社会が図(figure)であるとするなら、常に地(ground)としてしか扱われてこなかった存在に同化して生きてきたからです。(中略)「お前たちはそこにいろ」と言われたところにいて、少女は、それ以外のものをもう見ようとはしないのです。大人の男と女たち、彼らが作った無彩色の物質、日々の生活、そんなものをなぜ見なくてはならないのでしょう。花と共に在り、色と共に在り、少女は夢の中に生きているのです。大人の男たちの性的欲望のまなざしから巧妙に身を隠すために、少女は保護色の花々の中で一人夢を紡ぐのです。松本隆は、少女の中にそのような抵抗する精神を見、世界を救済する究極の回答を見たのです。少女でありながら、大人の女にやがて変貌する豊満な肉体は、松本隆の理想とする少女には絶対にあってはいけなかったのです。肉体のない精神だけの少女、明るいだけの声で少女の幸福――もちろん大人たちが作り上げたものです――を無条件で歌ってしまわないしたたかな少女、苦労して育った人間の持つ訳知り顔の世間知とは無縁の少女、そのような少女を松本隆は捜し求めていたのです。聖子にだけ、それがすべて備わっていたのです。聖子は、だから少女漫画を歌うのです。(中略)そして少女の心象風景以上にラディカルな風景というものは、この世にはないということを、松本隆は知っていたのです。「ミーハー・ラディカリズム」と「政治嫌いの音楽少年」とは、双子の兄妹だったのです。
小倉千加子松田聖子論』)