ベルメール的迷宮

skb_mate022004-05-31

去年の4月に発行したフリーペーパー、『groovy dictionary 15号』のことは憶えておられるでしょうか。そこで恋月姫*1の作品を取り上げた通り、わたしは人形*2愛好家です。何故そんなことを言い出したかというと、ゆうべ個人的な調べものをしている折り、『ハンス・ベルメール:日本への紹介と影響』*3というページを発見し、ついつい読みふけってしまったから。とくに「澁澤的ベルメール論のベルメール的迷宮」という段で繰り広げられる考察は、大変参考になりました。というのも、去年だったかおととしだったか、奴股氏がホフマンの『砂男』にえらく感銘を受け、『メトロポリス』とか、バタイユの『眼球譚』も絡めて、わたしにいろいろと語って聞かせたことがあったので。いつのことだったか憶えていないけれど、わたしも難波高島屋(だったと思う)のグランドホールへ四谷シモン氏の人形を見にいったりしていたので、興味深く聞かせてもらいました。その辺りからもやもやと頭の中を渦巻いていたものが、前述のページを読むことによって、一気にまとまった感じがしました。わたしは『フィレンツェ"ラ・スペコラ"博物館の解剖学鑞人形』という写真集を持っていて、それを大変気に入っているのですが、その理由は、まぎれもなく「澁澤的ベルメール論〜」に記されている通りではないかと思うのです*4

澁澤龍彦によると、ハンス・ベルメールは、『不思議の国のアリス』の作者と同類の「少女崇拝者」であり、同時に、「切り裂きジャック」の如き色情的殺人鬼の「親戚」である。そして、彼の制作した少女人形とは、「彼の理想の女であり、彼の自己愛の投影そのもの」であり、同時にそれは、彼が自らの「破壊の衝動をぶつける」対象として発明した物なのである。

ちょっと余談ですが、わたしは澁澤龍彦氏や寺山修司氏の著作を、博物誌的には捉えてないです。むしろ(ど厚かましい言い方ですが)わたしと似たような趣味の道に足を踏み入れて、なんか知識の量的にも精神の次元的にもイっちゃった人、というような印象をもっています。博物誌的におもしろいのは、やっぱり荒俣宏氏じゃないかと思います。それこそ、どうでもいいような数字とかまでしっかり憶えている人だし。なんとなく、レンジや精度に差があるような気がするのです。それはもちろん、世代的相違のせいもあるでしょう。でもたぶん、もっと根源的な問題は、わたしが無知蒙昧であるってこと。
《today's tune》zabadak / 北極を探しに

*1:http://koitsukihime.cool.ne.jp/

*2:主に球体関節人形ドルフィーだとサシャ萌え、ただし未お迎え。もちろん萌え対応フィギュアやガレキもスキスキスー。でもダッチワイフは持ってないです。

*3:http://bluecat.web.infoseek.co.jp/bellmer/index.html

*4:ただ、記事を書かれた方自身は、澁澤氏のベルメール論に対し、批判的(もう少し婉曲に表現すると、懐疑的)な意見を持っておられるようですが。