映像派

skb_mate022004-09-25

今日はきのうと同じやりかたで、呉智英さんのゴルゴ13論争を引き合いに出してから、「コンピュータゲームに関する小論」内の「ゲーム芸術説慎重論」について"ああ思う" "こう思う"といったところを書くつもりだった。のだが。めんどくさいし他にちょっと思いついたことがあったので、そちらを書き留めておこうかと。
ひょっとしたらすでに指摘されている方がおられるかもしれないが、大槍葦人さんと安倍吉俊さんはなんとなく似ているのではないか、ということ。大槍葦人さんは『北へ。』のキャラ原案で一般的に認知され、『白詰草話』でフルに自分の美意識を充満させた作品を作り上げた。そして『Quartett!!』の大ヒット、これはまだ記憶に新しい方も多いのではないかと思う。そして同じく安倍吉俊さんも『serial experiments lain』のキャラ原案で一般的に認知され、『ニアアンダーセブン』でフルに自分の美意識を充満させた作品を作り上げた。そして『灰羽連盟』は、アニオタたちの間で大きな話題となった*1。そして両者共に、その独特の流麗な画風が高く評価されている。しかしもっとも重要なのは、どちらも激しくおれツボだ、ということなんだが。つーか絵を職業とする人の「絵」を「評価」するって、自分で書いててなんだか可笑しいっすね。で、なんとなく思い出したこと。

「岩井さんって映像派ですよね」って言われたり(笑)。俺、映像が職業なんですけどって(笑)。それ以外って何派なんだろう、みんな映像使ってやってんじゃないかなって(笑)。もしかしたら"文学派"とかもあるのかなと思うんですけど、そこでそんなふうに分類されてること自体が、音楽やってる人を"音楽派"って言うのと同じ矛盾をすでに起こしてるような気がする。評論家って、みんな映像を言葉として、文学の亜流みたいな捉え方をしてるような気がするんですよね。(岩井俊二

わたしは「セカイ系」という単語を気に入っていて、いろんなところで「ほら、おれセカイ系だから」と言ったりする。もし岩井俊二さんが「映像派」を自称したら面白いだろうな、と思って。

日本では自と他の区別は西洋のように明確でなく、「私」といってもそれは「世界」と同一とさえ言える。このようなあいまいさを巧妙に用いた私小説は、欧米人が「自分自身」のことを語っているのとはまったく異なる。それが成功した際は身辺の雑事が「世界」と等価になる、というような狙いをもって書かれている。ただ、これが国際性をもつことは極めて困難であるだろう。(河合隼雄

追記 仏作家フランソワーズ・サガンさんが死去
http://www.yomiuri.co.jp/culture/news/20040925i501.htm
慎んで御冥福をお祈りいたします。

*1:いまやってる『TEXHNOLYZE』は、小中千昭さんの脚本で安倍吉俊キャラが動く第2のlain!!(とか言うと怒られそうだが・・・)