簡単に絵空事、夢には描けるの

skb_mate022005-01-14

斎藤栄サスペンス『富士山麓殺人事件・仙台−函館ルート5に隠された謎』観る。土曜ワイドでの本放送時(1987年)には、さらに「美女二人の白い肌が…」という副題がついていたみたい。あまり風情のあるシーンはなかったけど、やっぱり二時間ドラマはおもしろいなあ。海外ミステリ読みの人には、思いっきり莫迦にされる趣味ですが。見どころは、浅野ゆう子賀来千香子が同じ比重でヒロインを演じているところ。腹違いの姉妹で(お互い面識はない)、かたやお嬢さま、かたや自立した女性っていう設定がいい。片方が真犯人だし。ただ、ふたりの取り合うイイオトコ役が小野寺昭だったりで、なんともはや。賀来千香子といえば、『少女になにが起こったか』でも黒いお嬢さま役を好演していたし、意外にこういうのってハマり役なのかもしれないですね。ほんとは『検事・若浦葉子』での葉子役が、いちばん好きですけども。で、音楽がすごくよかった。ディスコっぽいフュージョン。音は安い感じなんですけど(いかにも予算かかってなさそう)、進行やメロが好みでした。藤野浩一さん*1という方が担当されていたとのことです。不勉強にして、これを観るまでは知らない方だったのですが。
話は飛びますけど。
去年だったか一昨年だったか、ある講習会みたいな所で、「我々はディレッタント*2を目指すのであり、それは偏執的なオタクの対極に位置する」というような物言いを耳にした。つまり、我々は多元的にコンテンツへ接しているが、お前らオタクは一元的だってことでしょう。ってことは、「何かに狂ったように凝れ」と説くムッシュかまやつは、まさにオタクの権化ですな。まあオタクって呼ばれるよりは、ディレッタントの方がそれっぽいよね。ただおもしろいのは、たいていのオタクがディレッタントとオタクはほぼ同義語だと認識しているのに対し、そうでない人たちは、頑として混同されたくないと主張しがちであること。同じ雑学好きでも、植草甚一唐沢俊一では質が違う、みたいな。つーかオタクにもいろいろいるわけで、十把一絡に「オタクは溢れ返る情報を、ただひたすら消費しているだけだ」とか言われましても。仮にそうだとしても、日本経済に貢献してるんだから別にいいじゃん、って言いたくなるけど。なんでそう「何かを為さねばならない」って強迫観念に縛られるんでしょうか。ニートが爆発的に増加しているのは確かに由々しき問題かもしれませんが、だからといって自己実現型社会への参加を強要されるのもなあ。わたしは一快楽主義者にしか過ぎませんし。とか言ってるから、ダメ人間の見本として、安易に引き合いに出されるのかも。じゃ、いかにもダメ人間っぽい画像を貼っておこう。