光の方へ 〜明日へのJYUMON〜

skb_mate022005-07-05

灯火管制がはじまるずっと以前にケロシン・ランプとケロシン油を買っておいた者は、電気の供給が途絶えたとき、金物屋の行列に加わらない人びとなのである。
(ポール・R・エーリック/アン・H・エーリック『繁栄の終り』より)

こないだMくんが*1ミクシィの日記に「100万人のキャンドルナイト」のことを書いていて、あぁ、このイメージキャラクターって翠れんなんだよなーとか、バイト先にも<キャンドルナイトを応援しています>ってステッカーがきてたなぁとか(もちろん灯りが消されることはなかったが)、いろいろなことを考えたのだけれども。いちばん強く想起されたのは、ヒッピー文化から発展したコミューンのこととか、『HOSONO HOUSE』に代表されるような、70年代の田舎回帰運動などでは決してなく、どっかのえらいひとが書いた「ギャルゲーの舞台には、なぜ過疎化した地方が選ばれがちなのか」うんたらかんたらという文章のことなのだが、もちろん内容はきれいさっぱり忘れてしまった。ものすごく乱暴に要約してしまえば、「やっぱお前ら甘えたなメンヘル野郎じゃん」みたいな?そんな感じ。大きなお世話だっつうの。あんたらは勝手にシティボーイ・シティガールを気取ってりゃいいじゃん。それに対して、ひとっことも文句言ってねぇし。なんて戯れ言は、実はどうでもいいんですが。あのね、いまバイト明けでむちゃくちゃ疲れてて、しかも眠いの。だからもう文章むちゃくちゃっすね。

1931年10月18日、エディソンが没した日のことである。この大発明家の栄誉をたたえる方法として、かつてベルの死去に際しすべての電話を一時停止させた故事にならい、2分間だけ送電を停めてかれを追悼しよう、という案が出された。だが、その案が出るがはやいか、「そんなことをしたら生活が麻痺する」と人々が拒絶したという。これこそが、エディソンの真の名誉だろう。貧しい人々のために一刻も中断できない発明・・・そういう理想的な発明を、かれ以外のだれがなしえたであろうか。
荒俣宏『奇想の20世紀』より)

そういえば、翠れんと一緒に湯川潮音もイメージキャラクターをやってるわけですが、彼女の日記にとてもツボな記述があって、ことあるごとに思い出し笑いしてしまうのです。その様子を傍から見たら、かなりキモいんでしょうな。ていうかわたしねぇ、漫画や小説にカバーかけない派なんですよ。で、そのまま電車とかで読むのだけれども、こないだエッグを読んでそうな女とメンズエッグを読んでそうな男のカップルに、指差して笑われました。指差してって、あんたらビーバップの読み過ぎだっつうの。まぁ思いっきり萌え漫画だったし、さぞや顔面を崩しながら読んでたんでしょう。

そう 最近思うことは 女の子が鼻をほじる瞬間を見ると 何であんなにがっかりするんでしょうか
私は割と女の子が好きなので 電車などではついつい女の子に見とれてしまうんですが その瞬間を目撃したときは なんだか胸苦しさまで感じるほど複雑な気持ちになりました
女の子が耳をほじるしぐさはなんだか少し可愛らしく よく聞こえないポーズかな? 困ったときに頭をかくのの延長線かな? などと思ったりするのですが 鼻となると 一気に現実的な想像をしてしまいます
うーん 穴ひとつでも随分違うものです
湯川潮音 きょうのぽろり 4月21日


追記 ついにキターー!!

*1:こんなクソオタと知り合いだとバレると、甚大な不利益を被るであろうオシャレさんなので、やむを得ずイニシャルトーク