太陽がいっぱい

1. 「2007-01-03 バラの吸血美少女」にて、AKB48の話題に絡んで「なんか秋元康アリかもしれんなぁと思いましたね。ていうか、奴がこの路線をしばらく続けるなら、まちがいなく改宗するものと思います」などと書きましたが、その後とうとうやってくれちゃったようですよ。

YouTube - AKB48 禁じられた二人
大島優子河西智美コンビが仕様であるものの、他のメンバーによって歌われることもあるみたいです。しかしふたりとも可愛いなぁ。手足長いし。で、 「百合百合!」さんもこの曲に反応されておりまして、全歌詞を読むことができました。「女として生まれなかったなら 別れ 来なかった もしも 私が男に生まれていたら 結ばれてた2人」ですって。時代背景は、木々高太郎の「我が女学生時代の罪」あたりですかね。同性愛を苦に、心中するカップルのことを歌ったもの。古風な筋立てにすることで生々しさを回避しつつ、アイドルオタの百合需要に反応してみせるあざとさに、商売人秋元康の本懐を見た思いが致しますな。まるで、「青春アミーゴ」を女体化したかのようです。本当にありがとうございました。


2. 今週の百合なトリビア

パトリシア・ハイスミスは同性愛者でした。50年代以前のアメリカで、それは隠し事だった。貧しかった頃、デパートの売り子をしていたパトリシアは、「気になる客」を調査(ストーカーともいう)。その「調査」に基づき変名で出版した作品は、アメリカ最初の同性愛小説だそうです*1。しかし、ハイスミスは女嫌いのレズビアン。そんなものがありえるのか…しかし、そんなものでもあるような。女であることを容赦なく揶揄する作品をいくつも書き、フェミニストの顰蹙を買うことも。母との確執もあり、とにかくどんな「正しい理由」に基づくものであれ、拘束されることを嫌悪した人。スローガンとか主義主張とか、流派を問わず大嫌いなようです。頭でっかちで声高な、本能のしなやかさを欠いた思想は、知性に見えなかったにちがいない。
AZ::Blog はんなりと、あずき色☆: たら本33「悪いやつ」

『見知らぬ乗客』や『太陽がいっぱい』、そして『アメリカの友人』の原作者であるパトリシア・ハイスミスレズビアンだったとは!今の今まで、まったく存じ上げませんでした。しかも、ソース元はやおい板・・・orz 百合スキーを公言する者としては、まことにお恥ずかしい限り。もとより上げてもいない看板を返上したいぐらいですが、そんなことをしても誰も喜ばないだろうから止め。ぶっちゃけ彼女の作品をきちんと読んだことはないのですが、映画化された作品群にはそこはかとなくやおいの薫りが漂っているため、なんとなく敬遠していたんですけども・・・さて、どこから読めばいいものか。しかし、女嫌いのレズビアンが書くやおいってのもかなり屈折してますね。英語圏では評伝も出版されているとのことなので、できればそれを読んでみたいのだけど、あいにく未訳なんですよねぇ。で、なにか他にめぼしいものはないかとネットを漁っていたら、ありました。「ネット上ではほとんど見ることのできないであろうパトリシア・ハイスミスのレア画像」ってやつが。

infinite thought: February 2006
若かりし頃の麗しいお姿が・・・って、えーーっ?なんでヌード?どういう経緯で?うーむ、これはますます評伝を読まねばならん気がしてきた・・・どなたかぜひ訳して出してください!しかし、やはりやおい板の姐さんがたは、年季も気合いも入ってますなぁ。こんなヌルーい小僧ですが、今後とも精進に励みたく思う所存であります。

*1:「ミステリー・推理小説データベース」によると、クレア・モーガン名義で1952年に発表された『The Price of Salt』なるレズビアン・ロマンス小説とのこと。