ナツコとシルビア
1. 1970年に出版された清岡純子の写真集、『ナツコとシルビア』のあとがきが素晴らしいので引いてしまいます。
カメラマンとして私が終始追い求めてきたのは女であった。ある時は厳しい戒律の中で、女と生まれた悦びを投げうち、仏弟子の道を選んだ尼僧の姿であった。またある時は、戦火で血と泥にまみれながらも、強く生きるベトナムの女性であった。カメラの向うに被写体としておかれた形はちがっても、私が狙うテーマは「女とは何か?」ということであった。私は女でなければ持っていない、強さ、楽しさ、美しさ、哀しさ、醜さを追ってきたつもりである。レスビアンの世界は、はじめ私の写真の素材のひとつとしてあった。私は仕事を介して彼女たちと付き合い、心の奥ふかくまで立ち入る機会を得た。そこで知り得たことは、レスというものが異常とか変態とかで片づけられないのっぴきならぬ愛の形で、人が猟奇の目でみるようなふまじめなものではない、ということだった。レスであることは少しも得でない。社会からは白い目で見られ、家庭の主婦のように安定した老後も保証されていない。物質的な利害関係からみれば大損である。それでもなおかつ彼女らをレスたらしめている動機は何か? 純粋な愛情以外の何ものでもない。私はシャッターを押しながら、そう確信した。愛(セックスを含めて)だけがすべてであるような人間関係は、美しいがもろいものだ。しかしそのもろいものに全身をかけている姿は一種物哀しいほどに感動的である。美しいもの、をファインダーを通してみていることがもどかしくなって、私は彼女たちの擁護論、賛美論ともいうべき本を何冊か上梓した。カメラマンとしては道草であるかもしれない。しかし女とは何かという、多分私が一生取り組みつづけるであろうテーマからの逸脱ではない。私はまだ、当分レスの世界を撮り続けるだろう。それは、愛という手あかにまみれた言葉が、本来の意味を得て、みずみずしく光り輝くのはレスの世界だけだからである。永い間、愛と言えば異性愛に極致があった。しかし、現在、世界的に愛の倫理は修正を迫られている。私たちは愛という名で逆に人々が身動きできない例をたくさん知っている。その結果現れたのが、昨今の性の過剰時代であるだろう。こうした中で私たちが考えていかなければならないのは、既成の観念にとらわれず、愛と性を考えることである。私はレスが最良というつもりはない。しかし少なくとも男女の愛が結婚生活に直結していく中で見失われている純粋な愛の核を、レスの世界はとどめている。新しい時代に即応した愛と性を考える時、レスビアンは多くの示唆を含んでいる、というのが今のところ私の結論めいたものである。
2. きょう買ってきた本。
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