美・チャンス

skb_mate022008-03-20

あいかわらず『ルネサンスの女たち』を読み中なのだけれど、読んでいてびっくりした箇所があるので抜き書き。

「女を知ることは歴史の真実を知ること。ある時代を良く知ろうと思ったら、その時代の女たちを良く調べるとよい」といったのは、ゲーテである。彼女(ルクレツィア・ボルジア)について書いた人々の興味も、何もルクレツィアの性格にあったのではない。彼女を書くことは、必然的に周囲を書き込まなければならないということにあった。つまり、男を書く時は、女を書かなくても用はすまないこともないが、女を書く時は、男を書かないですませることはできない。それ故に、女を書くことは、結果として歴史の真実に迫ることになる。この好例がルクレツィアの一生なのである。
(「第2章 ルクレツィア・ボルジア」より)


なんというか、もうミもフタもないとはこのことですね(笑い)。塩野七生としては、その是非についての興味などまるでないものと思われます。彼女にとって重要なのは、あとがきにて引用してある映画『第三の男』のなかの台詞「きみはぼくを悪人だと非難する。しかし、数百年後の平和の後に、スイスはハト時計をつくっただけなのに、ボルジアや他の連中が悪事をつくしたと非難されるルネサンス時代には、レオナルドやミケランジェロによって、偉大なる文化が花開いたではないか」、すなわち破壊と創造のダイナミズムと、それを取り巻く男たちの、英知を尽くした闘争なのだろうなという気がします。ていうか、もうどんだけチェーザレに萌え萌えやねんというのがヒリつくほどに伝わってくるのが可笑しい。そしてたぶん、ご本人は半ばそれに無自覚だったんじゃないかな(笑い)。

しかし、この二人のイタリア・ルネサンス最高の女たちの政治にも、女の限界があったことは認めねばならない。マントヴァフェラーラ二国だけの安全を守ることのみを考えたイザベッラ(・デステ)。フォルリ、イーモラを守るため、時代の新しい流れを見通せず、無謀にもチェーザレに立ち向かったカテリーナ(・スフォルツァ)。彼女たちを、当時最高の男たち、ロレンツォ・イル・マニーフィコ、イル・モーロ、アレッサンドロ六世、チェーザレ・ボルジア、ジュリオ二世らの、善悪の彼岸を行く壮大な政治と比べてみれば、ルネサンスという時代が、いかに男の時代であったかがわかるであろう。歴史には、男の時代と女の時代がある。ルネサンスの女たちは、男の時代に生きた女たちであった。
(「第3章 カテリーナ・スフォルツァ」より)


イタリア・ルネサンス時代は、日本の室町後期から安土桃山時代にあたります。塩野七生の愛読者にビジネスマンが多いのは、戦国武将の戦術に学ぶみたいな週刊ダイヤモンド的関心からではないでしょうか。そして戦国武将萌え若い女性がそこかしこで見つけられるようになったいま、イタリア・ルネサンスにその萌えツボを求めるようになるのも時間の問題かと思ったりもするわけですけど・・・そうか、惣領冬実がモーニングで『チェーザレ』を連載しているのはそのニーズにこたえるためだったのか、なんてね。画像は『トリニティ・ブラッド』のカテリーナ・スフォルツァ