少女時代

少女時代

少女時代

崖から飛び降りて赤い霧になりたいリカ、死んだら雪になって空から舞い降りたいハチミ、湖の真ん中で手首を切って死にたいナナエ、そしてトモ。中学のクラスメートである四人の少女たちは、一番美しい死に方について飽きることなく語り合っていた。ところがお正月にナナエが突然死。よりにもよってお餅を喉に詰まらせて死んでしまうなんて・・・。望んでいた死に方とあまりにもかけ離れた死を迎えてしまったナナエのために、三人はナナエの死をやりなおしてあげようと決意。彼女が望んだとおり、五月のよく晴れた、きれいで静かな日に、湖の上でボートの上に仰向けに横たわって―。

ノベライズ版『レッド・ガーデン』や橋本治『虹のヲルゴオル』を読み散らかしつつ、手を出してみました。これも『萌える日本文学』で紹介されていて、そそられた一冊。バイクや南の島を愛するという片岡義男の作品は一冊も読んだことがなく、なんとなくわたせせいぞう的なイメージだけがぼんやりとあったのだけれど、これはちょっとびびりました。ふだんの作風を求めるファンの「なんじゃこりゃ?」に先手を打つかのごとく、帯には「少数の熱心な読者のために」というフレーズが大きなフォントで入れられています。『1999年の夏休み』や『ヴァージン・スーサイズ』、『ピクニック・アット・ハンギングロック』などの映画が好きな人におすすめという惹句に偽りなく、まさにそれっぽいムードがムンムン。映画版『世界の終わりという名の雑貨店』から、恋愛要素を念入りに脂抜きしたような雰囲気とでもいいましょうか。空想が現実をあらかた侵食してしまったようなふわふわ感がたまりませんでした。いわゆるケータイ小説も、その現実感のなさで言えばストリートのリアルの対極に位置するものではありますが、ドラマティックさのかけらも見当たらない悲壮感のなさが魅力である『少女時代』の自己完結ぶりはその比じゃありません。究極の自慰行為をシェアする少女たちの関係はまぎれもなく百合、とこういうわけですな。興味をもたれた方、どうぞ安心してお求め下さい。


それぞれの少女時代 (群像社ライブラリー)

それぞれの少女時代 (群像社ライブラリー)

体と心の変化に気づきながら、性への好奇心をもてあましぎみに、大人の世界に近づいていく、ちょっとおませな同級生の女の子たち。双子の姉を相手に手のこんだいじわるをしてみたり、あこがれの女の先生に花を贈るために体をつかってお金をかせいだり…そんな少女たちがスターリン時代末期のソ連で精一杯生きていた。いまロシアでもっとも愛されている女性作家ウリツカヤが、小さな物語をつむいで描く素顔の少女たち。

少女時代つながり。積読のなかの一冊。はやく読みたい!


二十歳の原点 (新潮文庫)

二十歳の原点 (新潮文庫)

昭和三十八年十一月三日 中学三年生(1963年) ジュディー、あなたには私のすべてを告白します。私は自慰をします。そういうことは男女が自然のなりゆきでするのが自然の姿だと思っています。しかしその快感に負けてしまうのです。私はこういうことを平気でいってしまうんですから、異常なのかもしれません。でもジュディー、私はゆうわくに負けず、しないように、と思います。私はこれらのことについても、正しい知識を持って正しくして行きたいんです。 (『二十歳の原点ノート』より)
九月二十八日(土) 大学二年生(1968年) 寺山修司の『街に戦場あり』を読みながら自慰にふけったりした。刺激物をよむと興奮してついやりたくなるのだが、そのあとは罪悪感を感じるだけだ。 (『二十歳の原点序章』より)

真面目で美少女で勉強もできて親の手伝いもよくし、バスケ部や生徒会でも活躍。高校時代の彼女のタイムスケジュールを見るとほとんど自由時間がない。友達づきあいにおいても善良であろうとことあるごとに反省する。もう典型的な憧れの美少女。本人もそれを維持しようとパッツンパツンに張りつめている。日記の記述は「すべき」「でなければならない」の嵐。それじゃ追い詰められるよねえ。自殺直前までの日記『二十歳の原点』だけを見てると真面目だけど頭でっかちでグウタラなお嬢さんという感じだが、グウタラに見えたのはすでに鬱の症状が出ていただけなのかもしれない。
Inspirace - 高野悦子「二十歳の原点」シリーズの自慰描写

自慰つながり。『萌える日本文学』の著者である堀越英美さんのブログの記事から。
Wikipedia - 高野悦子