胡蝶の夢 pt.1

私の宗教入門 (ちくま文庫)

私の宗教入門 (ちくま文庫)

 最近の作品では、中原俊監督の『櫻の園』が、少女たちの集団におけるイニシエーションを主題としている。これは『ファンシイダンス』と同様に漫画を原作にしたもので、一九九〇年度の各種の映画賞を総なめにした作品である。
 タイトルの『櫻の園』とはチェーホフの有名な戯曲の題名でもあるが、映画の舞台となった櫻華学園高校の演劇部では、桜の花の咲く四月の創立記念日にこの『櫻の園』を上演することが恒例になっている。舞台に上るのは最上級生になったばかりの三年生で、二年生が裏方を努めることになる。
 ところが今年は、トラブルが起こる。ヤーシャを演じることになっていた三年生が不始末を起こし、学校側は上演を中止することになるかもしれないと言ってくる。生徒たちの心は揺れる。なにしろ中止になれば、三年生は永遠に『櫻の園』を演じる機会を失ってしまうからだ。
 ドラマは進行していく。中止という最悪の事態を防ごうとして必死の努力が続くなか、演劇部の生徒たちはお互いに自分の心を開いて、隠された思いを打ち明けるようになる。それは自分の現在の境遇に対する満たされない思いであったり、家庭の悩みであったり、あるいは同性に対する秘められた愛情であったりする。そういった告白の場面は、私が経験した特講などの研修会や自己開発セミナーの場合と共通する。
 彼女たちはそうやってトラブルを乗り越え、一生に一度の『櫻の園』の舞台をつとめることによって、一つの大きな節目を通過していくことになる。それは、まさに彼女たちにとってのイニシエーションなのである。
 監督の中原俊氏は東大の宗教学研究室の出身であり、私の一年先輩に当たる。彼もまた柳川先生のもとで学んだ経験があり、先生からイニシエーションについて教えを受けていた。就職難の時代に、ようやく日活の助監督として採用され、監督になった当初は“ロマンポルノ”の作品をいくつか撮っていた。
 彼が『櫻の園』を通して、イニシエーションの問題を描こうとしていたことは明らかである。演劇部の部室は大きな扉がついているのだが、劇の準備作業が始まるところで、その扉は部員によって開かれる。この扉は部員たちが化粧をしているときを除いて、開かれたままになっている。そしてトラブルが解決して舞台が始まる直前に、扉は部長の手によって閉じられる。扉を開けるシーンと閉じるシーンが、強く印象に残るように表現されていた。
 この扉の使い方は、中原監督が、『通過儀礼』を書いたヴァン・ジュネップの理論を下敷きにしていた証拠になる。彼は、演劇部の生徒たちが人生における一つの部屋から別の部屋に移動していったということを、扉の開閉によって象徴していたのである。
島田裕巳著,『私の宗教入門』,筑摩書房,2008,223-225頁)


奴股:それにしても島田裕巳さんが宗教学の話のなかで、君が何度か話題にした『櫻の園』を題材にしていたのは驚いたなあ。

chibinova:それで思い出したんだけど、島田氏はオウム真理教にたいする中立的な発言で叩かれたって言ってたじゃん。

奴股:そうそう。宗教学者は「メタ」から発言するからな。

chibinova:ハリー・ポッターの1作目が日本で出版されたころ、ちょうど自己啓発だのなんだのが大流行で。オウムとエヴァなんかを結び付けたりして、それにたいする警戒心も強まっていたころなのね。で、ハリポタってあれ自己啓発だよなってんで、サブカル連中はみんなえらく叩いてたんだわ。オウムの悪用したイメージだけがうっすらと嫌悪感として生き残ったというのもあるし、なんか宗教っぽいってんで、日本人の宗教アレルギーに引っかかったってのもあると思う。キリスト教書店でも普通に売ってるし。でもさ、別にハリポタに限らないのよ、あの自己啓発っぽさは。英国ファンタジーってたいがいあんなんだから。

奴股:なんか英国にはジェダイ教(?)の教会もあるっていうし。既存の宗教形態では、イニシエーションを体験するのは難しいのかもしれないね。

chibinova:やっぱり、子供と大人がはっきり区別されている土壌じゃないと難しいのかも。日本にも昔は元服っていう儀式があって、まぁ神秘体験というのはないんだけれども、それ以降は劇的に大人になるわけでしょ。でもいまっていうのは、大人になることを拒否するオタクなどに顕著だけど、ニートとか晩婚化とか、とにかく延長線上にいる気風のほうが時代っぽいというか。

奴股:断絶、飛躍ではなくて延長、持続ね。

chibinova:そうそう。そういや中南米では、ペヨーテを使った神秘体験を通して元服するなんて習慣があったね。

奴股:ああ、それも紹介されてた。ちょっと待ってな。参照するから。カルロス・カスタネダという人物の『ドン・ファンの教え』とか、ヘンリー・デイヴィッド・ソロー『森の生活』といった書物が、60年代にアメリカで非常に称揚されたとのことだ。とくにカスタネダは、メキシコのインディアンの呪術師ドン・ファンから、「世界を止める」真理について学んだらしい。その際の道具のひとつがペヨーテみたいなんだけど。おそらくペヨーテ使用だけが拡大解釈されたんだろうな。こうしたことも島田さんの書に紹介されていた。ほんとうに面白い。以前「ニューエイジ」って言葉で、わたし達が模索していた事柄について、ニュー・ハーモニーやオネイダといった共同体に言及することでとても納得できるように説明してくれる。島田氏のキーワードはその場合「アナキズム」だけど。日本でも当然そういった潮流はあったはずだけど、今では強烈な宗教アレルギーとしてだけ痕跡を残している。

chibinova:そうそう、カスタネダね。それで思い出したんだけど、以前魔界のSと聖なるMさんがそれっぽいことを「交歓SM日記」に書いてたな。えっと、2005-03-25 S「それでもあなたの道を行け」ジョセフ・ブルチャック / M「今日は死ぬのにもってこいの日」ナンシー・ウッドだ。

奴股:チェックする人はやっぱりチェックしてるね。わたしは島田さんの本で初めて知った。

chibinova:おれは別冊宝島の第1号、『全都市カタログ・保存版 / 都市生活者のフォークロア』ってやつで知った。

奴股:かなり古い本やろ?

chibinova:だからもうリアルタイムやねん。もちろん麻原が看板にする前のオウムとかも紹介されてる。けど、そのへんでいちばん有名なのは、神秘思想にどっぷりはまったシャーリー・マクレーンの 『アウト・オン・ア・リム』だろう。おもに輪廻やチャネリングについての本だけど。

奴股:時期っていうのもあるのかもね。時代だけでなく、個人についても。わたしは「gd」を君と作っていた頃は、イニシエーション的なものに憧れつつも、「自己実現」「自己啓発」については非常に嫌悪感を持っていた。今はあんまりそうは思ってない。

chibinova:しかし、それを『櫻の園』で論じるっつうのがおもろいよな。監督がそういう出の人だとは知らなかったんで、余計に新鮮な視点だと感じた。

奴股:そうやなあ。監督の中原俊という人物が島田裕巳氏の先輩らしいが。島田氏が言うほどに中原氏が通過儀礼を意識していたのかどうかは実際には分からないけど、そういった東大での宗教学の学びがバックボーンになっているのは確かだろうね。宗教を毛嫌いするばかりでは、けっきょくなんにも分からない。敢えてそこに踏み込んで、しかも振り返る客観性も持ち得たとき、ゆたかさがあるのだろう。そういう意味でのゆたかさが、『櫻の園』という映画作品にも反映しているのかも。そういや『櫻の園』の前に紹介されてた『一番美しく』って映画、あれは見たことがあるな。ストーリーは、軍需工場で働く少女たちの葛藤や友情を描いたもの。やっぱり、様々な困難を経て少女達が一致してゆく様子を描いた内容だ。今でも印象に残っているのは、彼女達のモンペ姿。というのも、たとえば今のNHKドラマとかでモンペ姿が再現される場合、生地は今の上等な生地だけど、この映画は1944年だから、今では絶対あり得ないような柄のモンペなのだ。「本物のモンペってたぶんこんなんだったんだろうな」という意味でも貴重な映像。

chibinova:44年いうたら、終戦直前?

奴股:終戦は45年だから、最も戦争が激化している時代。

chibinova:そうやんなぁ。よく映画撮れたな。

奴股:前に黒澤映画で、やっぱり戦前のチャンバラ物をやってて。タイトルとか忘れたけど。堺正章のお父さんが主役のやつ。あれもすごかったのは、主役がアップになったときに、顔に蝿が止まっててん。よほど劣悪な撮影環境だったのかな、と。また、フィルムも無駄にできなかったのかな、と。あるいは、蝿を無視できるぐらいの好演だったのかもしれないが。面白いのは、島田氏は黒澤の『姿三四郎』を最初に紹介してる。この極端に男臭い映画から『櫻の園』まで、イニシエーションと言う系譜でつながっているのだ。『姿三四郎』の骨組みをそのまま使用したイニシエーションものとして『ベスト・キッド』も紹介されている。

chibinova:やっぱあれかな、イニシエーションには多分に東洋思想が関わってるのかな。

奴股:宗教学の世界では、トーテムなどから始めているから、アジア限定、というわけではないと思う。オセアニアもアフリカも。そしてヨーロッパも。

chibinova:なるほど。世界中にあるのはあるけれども、あ、そうか。やっぱ西洋人からみてエキゾチックなものだから、余計に神秘的に感じられ、当時もてはやされたわけだ。空前のインドブームだったしね。

奴股:むかしっからジャポニズムとかシノワズリーとかあったわけだし。

chibinova:そうやな。西洋人のエキゾ趣味は筋金入りやな。

奴股:そういやカスタネダのあたりの頁で「ウッドストック」についても言及されていたよ。レヴィ・ストロースカスタネダといった人類学、そしてエリアーデやヴァン・ジュネップら宗教学、そうしたものが「自己探求」としてちょうどあの時代カウンターカルチャーに還元されていったんやな。

chibinova:そして還元されてゆくさまを言い表すのが「キャンプ」っていう。相対的に、ジャズなんかはスクエアなものになっていったと。

奴股:スーザン・ソンタグとか、つながるねえ。