モノ書きピアニストはお尻が痛い

モノ書きピアニストはお尻が痛い (文春文庫)

モノ書きピアニストはお尻が痛い (文春文庫)

感想を書く間もなくたくさんの本を読み散らかしている合い間に、書店で見かけて手に取ってみた。著者である青柳いづみこさんについては、「2007-06-08 innocence & peppermints」にて、たとえばルーセルラヴェルのような音楽家と作家の関係についての評論をまとめた『音楽と文学の対位法 ステージからの比較芸術論』という著作に触れていますが、通して読んだことはなかったのです。そのうちちゃんと読んでみたいなぁと思っていたところ、2004年に出版されたエッセイ集『双子座ピアニストは二重人格?』を文庫化した、この『モノ書きピアニストはお尻が痛い』が出ましたよと。まだ全体の6分の1ほどしか読んでいないのですが、これはスゴい。とくに自分で演奏もしつつ文章にも触れつつという人にとっては、目から鱗が3枚ほど一気に剥がれ落ちること請け合いです。そういえば、むかし山下洋輔のエッセイ集『ピアニストを笑え!』を読んだことがあって、それもたいへんおもしろかったのだけれど、青柳いづみこの書く文章は、わたしにとって他人事ではない切実さをもって響いてくるのです。その大きな理由として、彼女自身が原体験として二種類のフランスに引き裂かれていたと。いわく、「音楽のフランスは、六歳からピアノを師事した故安川加壽子先生及び門下の先輩方の奏でる夢のように美しいフォーレドビュッシーに象徴されていた。いっぽう、文学のフランスは、モーパッサンロートレアモンジュリアン・グラックを訳した亡祖父青柳瑞穂の本棚を支配している耽美と頽廃、ボードレールのいわゆる「醜悪の美」に帰結する」のだとか。そのため、優雅で洗練された演奏を体得しようと研鑽を積んだものの、醜悪の美を追求する彼女の文章を読み、そのような演奏を期待して演奏会にやってきた批評家たちから「主張の弱い演奏」と糾弾されたというのです。自分の中で露悪趣味と天上の調べが融けあうことなくグチャグチャと入り混じり、なんとなく座りの悪い思いをし続けてきたわたしにとっても、両極端な内面に我ながら面食らう奇妙な心地というのはよくわかります。できれば、それをうまい具合にバランスをとって共存させたいな、とも思っているのですけど。で、自分の考える理想像にいちばん近いことをやっているなと思ったのが、岩井俊二だったんですけれどもね。しかもそうしてつくられたものが、ポピュラリティを獲得しうる不思議。宮崎駿も同じようなことを言われていますけど。その紙一重な匙加減と世に出すタイミングの妙は、たぶん『日経エンタテインメント』とか読んでも身につくもんじゃないことだけはわかります。とにかくこの本は、これからのわたしに多くの示唆を与えてくれそうです。あ、演奏家の書く文章でもうひとつ忘れてはいけないのが、ソランジュ・ハセさんの書く「ららら 恋する8小節」。わざわざ本屋で音楽系のムックを買ってこなくても、彼の文章を読むほうが遥かにおもしろくてためになります。「eigasha.com」の「monthly issue」からどうぞ。