空の森

1. 唐突ですが、2000年に放送された浜崎あゆみのドキュメンタリー番組、いま調べたら「スーパーテレビ」という番組名だったんですけど、それを観たときに、ユーミンやドリカムのことを「可愛い」と形容するファンはあまりいなかったんじゃないかと考えたことを思い出しまして。なんでまたそんなことを言い出したかといいますと、番組中あゆが握手会をしてるところが映っておりまして、ファンの女の子がもうずっと泣いてるわけ。その光景があまりにも萌えた、と言ってしまうと話終わっちゃうんですが。そういや、吉川ひなのがアメ村のあたりでサイン会だかをやったときにも、女の子ばかりのすごい行列ができてた。で、あゆが売れ始めたとき、世間的に女の子版尾崎豊みたいな捉え方をされていたふしがあるんだけど、椎名林檎cocco松崎ナオもなんとなくそういうイメージが付随していたことを考えると、やっぱりそういう時代だったんだな、あれが90年代的なるものだったんだろうな、と思います。尾崎豊といえば、白倉由美がネタにしていたことがまっさきに思い出されるわけですが、いちばん強烈だったのは小島麻由美の「尾崎豊を聴かない人は信用できない」というニュアンスの発言。女の子のちょっとエキセントリックなところが大好きだとも発言しておりましたが、本人も相当にエキセントリックなキャラを隠し持っているようです。


2. もちろん少女×少女が良いものなのは言うまでもないですが、老女もこれが、なかなかに捨てがたい。と言いますのも、作家・小手鞠るいが2003年から4年余り続けていた「ウッドストックの森から」なるコラムを見つけまして、なかなかの燃料ぶりにニヤニヤしながら読んでおったのです。たとえば13才のとき、テレビで初めてオードリィ・ヘプバーンを目にしたときの印象が「なんてきれいな人、なんて美しい女の人、なんてなんてなんて……素敵! こんなにもきれいな人がこの世の中にいるなんて!」だったり、あるホーム・パーティで出会った12才の少女の第一印象が「まるで空から舞い降りてきた妖精のような、フランス人形がそのまま人間になったような、それはそれは愛くるしい女の子の笑顔があった」であったり。そんななかでも、マーベリックというコンサートホールへクラシックを聴きにいったおり、順番待ちをしていて知り合った老女と交わした会話がなによりも素晴らしく、わたくし完全に骨抜きにされてしまったのですな。

「ところで、あなたのお名前は?」 「シルヴィアよ」 「詩人のシルヴィア・プラスと同じですね」 「そうね。でも私は、彼女の詩はあまり好きではないわ」 プラスは、優れた詩を残した才気溢れる詩人であるが、人生の苦悩に耐えきれず、ガスオーブンに頭を突っ込んで、三十歳の若さで自殺を遂げてしまった人でもある。 「では、メイ・サートンの詩はお好きですか?」 サートンもまたアメリカの詩人で、東部の片田舎でひとり庭を耕し、草花や動物を愛し、厳しい冬に耐えながら、苦悩や葛藤と向き合った孤高の人である。 「いいえ。彼女も素晴らしい詩人ではあるけれど、やはり彼女もその一生を闘い(ストラグル)に費やしてしまったわね」 なるほど、そういう考え方もあるのか、と思いつつ、私はあとひとり、私の愛読している詩人の名をあげてみた。 「エミリー・ディキンスンは?」 そう言った瞬間、彼女は痩せ細った手で私の手をぐっと掴み、強く握りしめた。「ああ、神様。なんて素晴らしい! エミリー・ディキンスンこそ、最高に素晴らしい詩人よ。あなたにもそれがわかるのね? 彼女は魂の詩人よ。彼女は、闘いと苦しみばかりのこの世界から抜け出して、澄み切った魂の領域に到達できた人なの」
出窓社 - ウッドストックの森から【バックナンバー・5】


今週のりしゃみや

去年暮れぐらいの『よろセン!』から、ちょっとひさしぶりな感じのりしゃみやを。なんで今ごろになって出してくるんだっていう突っ込みは、まぁこのさい置いといて。ナマモノをいじるのは、いろんな意味で危険が危ないってわかってはいるんだけど・・・やらずにはいられない。なぜなら、そこに萌えがあるからだ(馬鹿)。


今週のおとこの娘

近所のスーパーで撮った、ひなあられの販促ポップ。もうおわかりですね? 三人官女のなかに、あかちゃんまんが入っています。作中、あかちゃんまんの性別について特にふれられてはいないのですけど、しゃべりかたと名前についた「まん」から、大方の視聴者は男の子だと認識していましてですね。版権絵を手掛ける制作側が、まさかそれを知らないはずはないだろうと。すなわち、これはもう正真正銘の女装になるんですわ。すごくピンポイントなネタで恐縮ですが(笑い)。