ほんのひとしずくの水

風の道へ

風の道へ

ある友人の日記を読み、唐突に『風の道へ』のライナーノートのことを思い出しまして。かつてディレクターを務めていた福岡智彦が「『青に捧げる』が5曲入りとなった経緯」「存命中にフルアルバムを残すことができなかった理由」などについて、自分の非も含めて赤裸々に語っており、「いくらメジャーレーベルへプレゼンしても、色よい返事をするところは一社もなかった」というくだりでは、本当にやりきれない気持ちで一杯になったものでした。そんな彼女を積極的に起用したのはCM業界であり、アニメ業界であり、それゆえ我々はまとまった数の作品を耳にできるのですが。つい最近もひとつ記事を見つけ、彼女の人生について、なんとなく思いを巡らせていたところ。

英里さんとお会いしたのは1998年の夏。私の初めてのバイト先でした。私の印象に残っている英里さんは、可愛くてお茶目な人。「うちの実家アパートあるんだけど、『河井荘』っての。かわいそうでしょ?ふふっ♪」てな感じでホンワカした童顔の小柄な方でした。でもある時、そのバイト先にやってきた某有名人の傍若無人ぶりを憤慨したら、「才能のある人はどんなワガママも奇行も許されるよ。いいんだよ、なにやっても」「才能が欲しい。私は才能が欲しいよ。」と突然言い出してうつむいてしまった英里さん。驚いたと同時になぜ急にそんなことを突然言い出したのか。それもなんで私に? 困惑して、またなんと声をかけていいか・・・。とても痛々しかった。後でその「教授」と呼ばれる某坂本さんとは、大学の同じ作曲学部の先輩後輩の仲なのだと知りました。作曲科は一学年2名ほどで縦の繋がりが強い世界である事もその時聞きました。
苺☆シロップ - 生きた証を残した人

1998年といえば、『青に捧げる』がリリースされた翌年。当時の彼女のことをなにも知らないので、こういった些細なエピソードがすごくいとおしいです。そういえば『風の道へ』のライナーノートで大島ミチルも「レコーディング当時のことを克明に思い出すので、いまはまだ聴くのがつらい」というようなことを語っていましたけど、わたしもなかなか聴くことができませんでした。今年の夏に入ってから、ようやくという感じで。いちどboyfriend's deadのライブのとき、オープニングSEとしてかけさせてもらったのだけど、あの音量はまずかった。こみあがってどうしようもなかった。『for Ritz』とともに、生涯つきあっていくアルバムなんだなぁ、という感慨も込みで。で、本日発売予定でしたboyfriend's dead / civic スプリットアルバム『anorak shoegazer』ですが、諸般の事情により11月11日へ延期となりました。予約くださったみなさまにはたいへん申し訳わけありませんが、あとしばらくお待ちくださいませ。