『パタリロ!』によると、地獄は年中蒸し暑いらしい

skb_mate022004-07-16

秋の日の / ヴィオロンの / ためいきの / 身にしみて / ひたぶるに / うら悲し
鐘のおとに / 胸ふたぎ / 色かへて / 涙ぐむ / 過ぎし日の / おもひでや
げにわれは / うらぶれて / こゝかしこ / さだめなく / とび散らふ / 落ち葉かな
(ポオル・ヴェルレエヌ「落葉」)


というかんじで、もうすでに秋が恋しくてたまらない。とにかく暑い。ただでさえアパシーに蝕まれたこの精神が、いま以上にヤル気をなくすといったいどうなるのか、想像もつかない。唯一のたのしみは、海へいくこと。これで今年の夏、一度も海へいけずに終わったら・・・もう保険かけて、さっさと死ぬよマジで。もし海へいけないのなら、生きていたくないよ。百歩譲って、それ以外でなにならいいかを考えてみた。北欧へいくのは、ぶっちゃけムリだ。そんなお金はない。ならば、蒜山高原だ。もっと厳密にいえば、西日本福音ルーテル教会が管理する蒜山バイブル・キャンプ場だ。もうあそこ以外に、わたしを救える場所はない。『ツイン・ピークス』に狂いまくっていたころ*1、わたしはあの風景を勝手に重ねあわせて楽しんでいた。当然、BGMはジュリー・クルーズ。そうそう、デヴィッド・リンチでしたね。もう暑くてものが考えらんないんですよ。中学生のとき『砂の惑星』を阪急三宮の駅ビルにある映画館へ観にいったんですけど、なんか5〜6人の外国人も観にきてて、スティングの出てくるシーンで指笛とか吹いてたな。向こうの映画館ってこうなのかな、って漠然と思ったりしました。のちに、そうでもないってわかったんだけど。もうこんなもんでいいでしょ、暑くてほんとおかしくなりそうなんすよ。で、もしわたしが死んだら、画像で貼ってある2枚のレコードを葬式でかけてほしいんですよ。今までにいったい何回聴いたかわからないし、これから何回聴くのかもわからないアルバム。そんなことを考えていたら、数年前、奴股がヘルプで参加していたバンドのライブを思い出した。そのバンドのシンガーが、あまりにもジャニス・ジョプリンを体現していて、この娘も生きながらブルースに葬られるんじゃないかと思うと、思わず泣きそうになった・・・当時、奴股にはそんなこと一言もいわなかったけど。
追記 五十嵐貴久さんという小説家の書いた文章を発見*2。以下引用。

ハッキリ宣言しておきますが、わたくしはデビッド・リンチ的映画なるものにまったく興味ありません。評論家の人たちも、必要以上に誉めるのはどうだろうか。基本的にストーリーをまとめる能力ないと思う。

これが、デヴィッド・リンチ作品に対するまともな反応じゃないだろうか。*3たとえば『ツイン・ピークス』を引き合いに出すと、「誰がローラ・パーマーを殺したか?」について、あまりにぼかされ過ぎている、という批判がある。だが滝本誠さんも指摘する通り、「誰がローラ・パーマーを殺したか?」についてもっとも興味のない人間が、他ならぬリンチ自身なのである*4
重ねて追記 『問題のない私たち』に続き*5、『ゴッド・ディーバ』も見逃した*6・・・なんで上映1週間だけやねん、オイ。『ティコ・ムーン』は3週間ぐらいやっとったやろが。あーあ、いちいち新開地までいかなあかんのか・・・。ってゆうか、『フィフス・エレメント』のディーバ役をジュリー・クルーズに演らせたらおもしろかったのに。ディーバの中の人が誰だったのか、いまだにわかってないわたしが言うのもなんですが。

*1:いまどう評価されているのかは知らんが、当時はボロクソにけなされていた。ほんとだよ。東京ではローラ・パーマーのお葬式なんてイベントがあって、それに中山美穂小泉今日子が参列したって聞きましたけど、わたしが劇場版を観にいったときなんて、エンドロールでほんとにブーイングが巻き起こりましたからねぇ。あんな光景を他でみたのは、『バリゾーゴン』と『ブレア・ウィッチ・プロジェクト』ぐらい。『マイ・ライフ・アズ・ア・ドッグ』や『未来世紀ブラジル』でも、隣の奴がブツブツ言ってたりはしたけど、ブーイングまではいかなかったし。そういや『小さな兵隊』を観にいったとき、いかにもなオリーブっ娘二人組がいびきかいて寝てたのには笑った。あまり音のない映画だもんで、館内に堂々と響き渡ってたんですよw

*2:http://webmagazine.gentosha.co.jp/rentalvideo/vol84_rentalvideo.html ただね、この方の映画レビューを延々と読んでたんですが、「楽しくなければ映画じゃない」と公言する通り、書いてる文章はおもしろいし、けっこう共感できる部分もある。ちょっと小説読んでみようかな、という気になった。いや、むしろ彼の卒論だという「北杜夫文学における笑いのベルグソン的考察」というのをぜひ読んでみたい。たぶん、自分とはまったく違うものをもってるからだと思いますが。

*3:ただし、『ロスト・ハイウェイ』にかんしてはほんっとダメだった。言ってみれば、自分のアーカイヴを解体・脱構築したような作品なわけだが、それまでのどれをも超えることができていない。同時代のゴスにおもねっている感もいただけない。リンチの魅力は、俗を突き詰めることで聖へと転化させる手法の鮮やかさ、たとえるなら、ブレッソンベルイマンがラス・ヴェガスの娼館を舞台に撮っているような違和感に、タルコフスキータブロイドを編集しているかのような奇妙さにあったわけだが、それがまったく感じられなかった。あれだったら、娘ジェニファーの『ボクシング・ヘレナ』の方がぜんぜんいい。映像美では、父親にひけをとってなかったし。ただ、『クラッシュ』と公開時期が若干かぶったせいで、霞んでみえてしまったってのはあるかもしれない。まるで『アメリ』に潰された『世界の終わりという名の雑貨店』みたいにね。わたしはたしかにリンチ信者ですが、おなじデヴィッドでもクローネンバーグは格が違う。

*4:丸尾末広さんや一時期の岩井俊二さんなどと、けっこう資質が近いと思う。「ドーン!」に対する「うわぁ!」が重要なのであって、「なるほどぉ〜」にはさして興味ないっていうか。どちらも情感に訴えていることに違いはないんだけども。だから、パゾリーニとはタイプが違いますね。彼とはエロ・グロ以外、ほとんど共通項がない。パゾリーニ作品に充満しているのは、パゾリーニ自身の「呪い」ですから。こういう表現が適切かどうかはわからないけど、作家性が前面に出てるっていうのかな。更科修一郎さんは、それを「消費者にとってのノイズ」と呼んでいたけれども、とてもわかりやすい表現だと思います。だから、むしろエヴァンゲリオンや漫画版デビルマン(アニメ版は未見)、岡本喜八監督の『ブルー・クリスマス』などはパゾリーニ的といっていいのではないかと思います。そういや「リンチ的だ」ということで話題になった『π』って映画がありましたけど、じつはまだ観てないんですよ。話をきくぶんには、アーサー・C・クラークの「90億の神の御名」っぽいのかな、と。『Xファイル』ってわけじゃないけど陰謀モノも大好きなんで、今度ツタヤへいったとき、忘れてなかったら借りてこようと思います。

*5:http://www.mondainonaiwatashitachi.net/ 今月28日にDVDが発売されるらしい。忘れないうちに、借りてこなければ・・・。

*6:http://www.herald.co.jp/theater/immortal/