全部エブリシングお見通しだ!

skb_mate022005-11-24

夏目先生が、ご自身のブログに興味深いことを書いておられますよ。

(略)重要だと思うのは、淵源としては女性の「読み」をあげる人がいるが、おもに男性おたくについて「萌え」が語られるということ。けれど、斉藤環が指摘するように、男女の「萌え」にはかなりはっきりと差が見えるらしいという点です。
 補足しますと永山薫は美少女系エロマンガの作家について〈マチズモに疲れた男の子たちの脱出願望としての、女性化願望〉だけではなく〈描かれている「少女」を自分のヴァーチャルな身体として捉えているのではないか。[略]汗臭い男の身体よりも、可愛い少女の身体のほうが、中に入るには気持ちよさそうなんですね。〉(永山前掲文 52p)とのべています。単純に「女性を侵犯し所有する」欲求の視覚化としてのエロマンガが、美少女系では「女性化願望」のヴァーチャル化へと変化した、という観点です。これは読者の「読み」にもあてはまるかもしれない。
 ササキバラ・ゴウは前掲書で大要以下のような理解を示します。ラブコメ・ブーム以降、女性に遅れて美少女キャラクターに「萌え」始めた男性おたくは、女性おたくと共有した70年代ロマコメのように〈彼女をわかってあげられる僕〉(前掲書 179p)になろうとし、女性を傷つける性としての自分を後退させ、ロリコンに向かった。が、80年代後半の〈少女マンガの崩壊〉(同上 180p)期に内面を失っていった少女マンガに感情移入の根拠を失い、視線の暴力性がむき出しになってしまった。そこで傷つくことのないキャラクターを求め、〈純粋に視線としての私〉(181p)になろうとする。
 この二つは「少女になりたい」と「少女を見たい」という逆の観点のようにみえますが、じつは男性のキャラ萌えのアンビバレンツな両面を示しているようにも読めます。ちょっと遊びですが「傷つかない女の子に、いっそ自分がなりたい」という、自分の中の「少女」をよびおこすようなエロスのありかたみたいな・・・・。(略)
夏目房之介の「で?」 「萌え」についての断章 より)
http://www.ringolab.com/note/natsume2/archives/004000.html

わたしの「萌え」理解もこのあたりです。それ以上は考えたことがないのでなんとも言えませんが、萌えオタと突っ込んで話す機会があると、だいたいこのあたりに落ち着くことが多い。過去記事によれば、文中たびたび引用されている伊藤剛氏の『テヅカ イズ デッド』をネタにした座談が、『ユリイカ』に収録されるらしいですね。『ユリイカ』といえば、今年5月号の特集が「人形愛」でして(恋月姫の人形が表紙)、そこでつけられていた「少年たちは少女をめざす!?」「少女たちは人形をめざす」というサブタイも、なにやら上記引用文へ通じるものがあるなと。ぜひリンク先へ飛んで、全文を読んでいただきたい。そのさい、同じく『ユリイカ』へ寄稿されている更科修一郎氏のテキスト「『月姫』までの長い途 ─ぼくらのリアルと美少女ゲーム─」もあわせ読まれることをおすすめします*1