光・ヴァイブレーション・音

skb_mate022006-01-07

「ユーザー参加型新感覚癒し系新年会」へ参加くださったみなさま、どうもありがとうございました。わたしは相変わらず、「俗なる酔っ払い」に成り下がっていましたが。


1. なんだかとても非道い罵詈雑言を書き連ねたくなって、いろいろと自分の中に巣食う嫌悪感を煽り立ててみたのだけれど、すぐにどうでもよくなったらしい。どういういきさつで、それを書こうと思い立ったかさえ、もうきれいさっぱり忘れてしまった。近頃そういった傾向の文章がめっきり減ったから、とか、そんなところだろうとは思うけど。ま、やるなら人様の迷惑にならない程度に、ね。なんとなく思い出せるのは、「自分のことが嫌い」と言えるひとって、少なくとも自分に興味は持てているんだよな、とか、そんなこと。だからなんやねんと突っ込まれると、返す言葉もないのですが。年々、「何かを成す」っぽい物言いへの嫌悪感が強くなっていってるような気がする。「何かを為す」だと、また違うんですけど。なんというのか、原罪意識にがんじがらめにされているせいか、己の正当性だとか権利だとかを声高に叫ぶひとが受け付けられないようです。そういうときの表情って、どうしようもなく醜いと思うから、なのかな。大きなお世話かもしれんけど。


2. 『gd、あるいは田舎司祭の日記』へ、05年の大晦日にアップした奴股との対談のなかで、何度も引き合いに出されたスーザン・ソンタグのことを、わたしはほとんど知らない。『反解釈』も、もちろん読んだことがない。ゆえに、利口だと思ってもらえそうなことなど、なにひとつ書けない。知っていることといえば、「キャッチー」だの「ヒップ」だのといった単語と同じようなノリで使われる「キャンプ」という単語を60年代に流行らせた人物であり、飛び抜けてファッショナブルで、映画が好きなレズビアンということぐらいだ。そして、ソンタグをこういった単語で形容することを「キャンプ」的である、という。とまぁ、そういうことにしておこう。なんて書いていると、なんだかレオノール・フィニのことを書いているような錯覚に陥ってきた。


今年もこんな調子で、妄言をうだうだ垂れ流すような気がします。不愉快になられた方、ごめんなさい(しおらしさを自己演出ですか、プギャーッ)。