夜と霧

skb_mate022006-08-15

1. いま柴田元幸の編訳による短編集『夜の姉妹団』を読んでいるのだが、そこにレズビアンであることが自身の根幹にかかわる要素であることを自認する作家、レベッカ・ブラウンの一遍が収められていた。このあいだユトレヒトでも取り上げられた『お馬鹿さんなふたり』という小説で彼女を知ったのだけれど*1、出版元の光琳社が倒産したとき、ブックオフへ大量流出した在庫を拾いまくっていたおりに入手したひとつだったこともあり、あまりまじめに読んでいなかったので、なんとなくしか憶えていなかった。正直。で、改めて彼女の筆致にふれ、柴田元幸いわく「幻想レズビアン小説」を多く書いている作家であるとの情報も手伝い、勝手に「ヴァージニア・ウルフみたいな人なんだろうか」などと思い込んでいるけれど、たぶん違う。で、同じく『夜の姉妹団』に収められているドナルド・バーセルミの短編「アート・オブ・ベースボール」によると、なんとスーザン・ソンタグが1959年の1シーズンのみシカゴ・ホワイトソックスの1塁手としてプレイしていたというのである。女性とわからぬように変装して、とのことだが、事実なのだろうか。で、ブラウンとソンタグ、このふたりの名前をどこかで並び見た記憶があったので、なんとか思い出してみた。

(略)「アフター・エレン」というレズビアン関連のサイトに載っていたていねいな訃報を読んでいたら、ソンタグに批判的なレズビアンのコミュニティのことも紹介していて、そのひとつとして、作家のレベッカ・ブラウンの発言を例にあげていたのである。ブラウンが「ザ・ストレインジャー」なるサイトに寄せた文章で、写真家のアニー・リーボヴィッツが開いた『女たち』と題された展覧会についての評である。(略) 「この展覧会でとりあげられていない唯一の関係のありかたは、レズビアンという関係である」 どうしてそのことがブラウンにはとくに気になったのかというと、展覧会のカタログにエッセイを寄せていたのがソンタグだったからだ。ソンタグは、前回に紹介した通り、1995年に「ニューヨーカー」で、じぶんが「バイセクシャル」であることを認めていた。そして、ソンタグは、ブラウンの表現を借りると、リーボヴィッツの「長年の連れ(コンパニオン)」で、そのことはかなり知られてもいた。 「それほどオープンになっているのに、男ぬきの女たちをめぐってのこの重要な展覧会は、なぜ、レズビアンの存在を無視したのか?」 「女たちも力をもっていることを宣伝するのがこの展覧会の意図のひとつだったとしたら、レズビアンの不在はなんとも情けない皮肉である」 ブラウンの批評の題名は「クローゼットに隠れたままの視線」。リーボヴィッツソンタグがはっきりとカミングアウトしようとしないことへの苛立ちが伝わってくる文章である。ソンタグの訃報で多くのメディアが彼女の性に言及しなかったことは、前回に書いた通りだが、ソンタグが自分の性についてあいまいな態度をとっていたことに不満をもっていた人々は、どうやら、少なからずいたようだ。(略)

ロスト・オン・ザ・ネット 葬式は大砲で http://subaru.shueisha.co.jp/html/lost/l56_f.html

現代の英米文学に精通している人であればごくふつうに知られている関係なのかもしれないけれど、そういう情報に疎いわたしにとっては、まさに点と点が繋がったような思いがした。それはおそらく、ムームベルセバをまったく別個で聴いていた人が、その関係を知ってほくそ笑むようなもの、なのだろう。その勢いを保ったまま、同じく柴田元幸の編訳による短編集『僕の恋、僕の傘』も買いました。読書スピードを上げていかないと、また積ん読が増えるだけになりそう。ここまで書いておいてなんですが、『夜の姉妹団』収録作品だと、表題作である「夜の姉妹団」がいちばん響きました。


2. 数年前、堺市にあるミュシャ美術館へ訪れたおり、同じビルの会議室のような場所で催されていた展覧会に迷いこんだことがある。そこには地元の老人たちの手になる写真や陶器や盆栽などが展示されていたのだが、われわれのほかに観客はおらず、ただ展示物の著作者である老人が数人、椅子に腰掛けてなにやら話し込んでいるだけだった。その展覧会はほぼすべての人に向かって開かれているはずなのに、自分たちがひどく場違いで、ほんらい存在するはずのない異物のように感じられた。客観的にみれば、おそらく凡庸なのであろう作品に対峙する凡庸なわれわれ、という、それこそこれまでに地球上で何万回、何億回と繰り返されてきた凡庸な光景に違いないのだけれど、そこにいた自分たちは、ひどくいたたまれない気分をはっきりと抱えていたのである。さきほどまで多くの人々から賞賛を浴びる作品群を鑑賞していたわれわれは、そのあまりの在りようの違い―われわれの心の在りようの違い―に愕然とし、凡庸である自分たちがいかに擬似的に高次へと引き上げられていたかを思い知った。そしてわれわれを愛し慈しんでくれるのは、おそらくその凡庸な存在たちにほかならないのであり、著名な作品や作者たちへ一方的に恋い焦がれる行為もまた、われわれにとって慰めであることを知るに至ったのではないかと思う。もしかわいい盛りの娘がいたとして、彼女がたつ初めての舞台―バレエやピアノの発表会を想像してほしい―を目にしてしまえば、もちろんその準備の期間に至るまで、それが自分にとって最高の作品となることなど、とうにわかっていたはずなのだけれど。


3. このあいだ、ファミリアの布かばんにピンガとあかちゃんまんのマスコットをぶらさげている女子高生を見かけた。これがまたかわいい子だった。おかげでかなり死にたくなった。ピンガにあかちゃんまんはわたしもそうとう好きなのですが、それらを愛でる主体からしてかわいいって、あんたそれどういうことよ。わたしゃいったいどうすりゃいいってのよ。そんなつまらない苦悩をよそに、たぶん日々は同じスピードで過ぎてゆき、変わらぬ日常が繰り返される。機嫌直して生きよう。