情熱のコンシェルジェ

skb_mate022006-08-23

そんなわけで、『カーリー〜黄金の尖塔の国とあひると小公女』(高殿円)と『眠れる森の惨劇』(竹本健治)を読了。どちらもたいへんおもしろかったです。『カーリー』はヴィクトリアンものという触れ込みだったので、てっきり当時を背景にした物語かと思っていたのですが、ジョージ6世の治世下、古い風習が根強く残るインドの英国保護領にある女子校が舞台でした。中盤あたりまでは往年の少女漫画的なキャラを絶妙に配置した少女小説ふうなんだけど、イギリスがドイツに宣戦布告するあたりから話が大きく動き、大河ドラマ的になっていくのが圧巻というかなんというか。なんとも胸のすく展開でした。ストパニも、もうちょっとひねればこうなれるかも(希望的観測)。百合好きとしては、カーリーがどう考えても「ついてる」のがアレでナニなんですけど、それを帳消しにしてもお釣がくるほどおもしろかったです。シャーロットが、現時点では女の子として認識しているカーリーを恋愛対象として「好きだ」と自覚したというのもありますし。でも、これをいまどきの女の子が読んでおもしろいのかどうかは微妙な気がするのが寂しいところですけど。とにかく2巻が楽しみ。伝統あるミッション系女子校の寮で起こる変死事件を題材にした『眠れる森の惨劇』は、竹本作品のなかでいちばん「普通な」小説という評を多く目にしたのですが、本人も「僕の著作のなかでも、最も透明度の高い作品に仕あがったのではないか」と書いている通り、いい歳をした男性の抱く少女幻想がこれでもかと詰め込まれていて、個人的にはたいへん愉しめました。百合的にも満足のいく内容だったし。竹本健治らしい衒学的なテイストが薄いとかトリックが単純とか動機があやふやとかいう批判もあるみたいなんですけど、作者としてはそういう部分に意識を集中してほしくないというか、彼の抱いている少女幻想をテキストにするうえで、足枷になると考えたんじゃないかな。そういった要素をできるだけ間引いていく作業が、著者の言う「丹念に磨き上げ」ることだったんじゃないかと思います。譬えは正しくないかもしれないけど、『世界の終わりという名の雑貨店』に通じる空虚感、渇きながらも満たされないかんじ、あてどない焦燥感みたいなものがよく伝わってきました(あ、どっちも作者がおっさんじゃん)。好き。そこへ加えてホスト部のヅカネタだとかスケバン刑事劇場版の宣伝を目にしているせいか、なんだか月蝕歌劇団の旧いレパートリーに接したくなり、思わず高取英の戯曲集を買い求めてしまいました。藤原カムイの漫画版『聖ミカエラ学園漂流記』から入ったクチで、じっさいに観劇したことはないんですけど。今だったら、森永理科を目当てにって口実もあるしな・・・いってみようかな(口実ってなんだよ)。ちょうど半年前に放送された松本清張スペシャル「指」というドラマで、後藤真希の演じる役が小劇団の役者をやっているという設定だったんですけど、劇中劇がまさに月蝕歌劇団というかんじで。モデルになったりしてたのかなぁ。そういや東京グランギニョルも、中島らもがよく飴屋法水のことを書いていたから知ったクチで、じっさいに観劇したことはない。劇団少女童話も、清水マリコエロゲーのノベライズをしていたことから知ったクチで、やはりじっさいに観劇したことはない。せいぜい、秘密結社★少女椿団ぐらいじゃないだろうか(演劇とはちょっと違うけど)。演劇だったらミニハンド氏のほうがいろいろ体験されたんじゃないでしょうか。自分は映画しかみてなかったからなぁ。