願い事

skb_mate022007-06-07

「影への隠遁Blog」でその存在を知ってからというもの(岩田準子『二青年図‐乱歩と岩田準一』もここで知った!)、わたしの中で超重要な位置を占めるようになった映画『第七官界彷徨尾崎翠を探して』『百合祭』『こほろぎ嬢』等の監督を務めた浜野佐知のインタヴュー記事を読み返そうと(尾崎翠に続き、湯浅芳子の半生を映画化したいとのこと!『百合子、ダスヴィダーニヤ』を読了したあとだけに、実現を強く希求するものである!)、いろんなキーワードでググっていて見つけたのが「たまごまごごはん - 「百合的作品」群から見た少女幻想と、ネバーランド住人たち。」という記事。読ませていただくうちにいろいろと考えさせられたので、すこし長くなるがまとめておこうと思います。気付けばオタ界はすっかり百合ブームらしく、その浸透ぶりは相当なもののようです。このあいだ寄ったメイドカフェの客の中に、近所のおばちゃんや鳶職のいかっちいお兄ちゃんまで散見されたのにはたいそうびっくりしたものですが、おそらく百合を愛好するかたのなかにもそういったかたがおられるものと思われます。以前も書きましたが、『つぶらら』を読みながらラーメン屋の順番待ちをしている作業員ふうのおっさんを目撃したことがあります。しかも笑ってました。読んでいたのが『苺ましまろ』ならまだわからなくもないですが、って、やっぱりわからんか。とにかく、ラーメン屋で広げられるまんがが『ゴルゴ13』や『ミナミの帝王』ばかりだった時代は終わったということですか。まぁ今後も百合を謳う作品は増え続けていくでしょうし、ブームの終息が、いつどういう形で訪れるのかは、神のみぞ知るといったところではないかと思います。では、なにをもって「百合作品」と呼ぶのかという問題についてですが、そんなものはあなたが「百合だ」と思ったものが「百合作品」なのです。ただ、それではジャンルになりません。ジャンルというものは諸刃の剣で、黎明期には供給側にたいする「こういう規模のマーケットがありますよ」というアピールになる反面、成熟期には供給過剰による玉石混淆をもたらしますし、様式化していくことによって表現の自由度が失われてゆく窮屈さもはらんでいます。たとえばブラックミュージックなどではとくにそれが顕著で、ソウルにはソウルマナーが、ディスコにはディスコマナーが、ヒップホップにはヒップホップマナーがはっきりと存在します。ヘヴィメタルなどは様式の極みみたいなところがありますしね。こんなこと、いちいち書かなくてもたいていのかたはおわかりでしょうけれど。すなわち、現在の百合ブームが『マリみて』という作品の求心力に依っている以上、それが様式のおおまかな骨格になるのは当然の流れであるといえます。ただわたしは、「ロボットもの」が「ロボットが殴り合ったりビームを撃ち合ったりする」作品だけを指すわけではないように、いま現在オタ界で流通している「百合もの」が、すなわち「女性同士の恋愛関係」を描いた作品だけを指すわけではないと考えます。たとえば『マリみて』がもともと打ち出していた惹き句は「超お嬢さまたちの大騒ぎ学園コメディー」だったわけで、ヤマンバだとか援交だとかドラッグだとかに辟易していた少女へ向けて、前時代的なまでの淑女像を描いてみせるという狙いがあったわけじゃないですか。で、あずまんがで「キャラの立った女の子たちがわちゃわちゃやっている」光景を眺める快感をおぼえたオタたちが、そこへ参入しはじめた。決定打は、やはり『AIR』で「ゲームであるにもかかわらず、プレイヤーは干渉するすべをあたえられておらず、観鈴と晴子が母娘関係を築いてゆくところをただ傍観するしかない」態度を学んだことではないかと思います。そして『マリみて』が「あずまんがショック」と「AIRショック」の双方を備えつつ、少年漫画的なキャラ相関図まで付加したものとして捉えられたのではないか。なぜか『マリみて』と『ガンダム』をならべて愉しむオタが多いのは、このあたりに端を発しているのではないかと思われるのです。こう考えると、とくに美少女キャラにこだわるオタたちが百合へ流れたのも納得できるのではないかと。なぜ少女なのか、萌えなのかについては、「pastel madness - 全部エブリシングお見通しだ!」を参照していただきますと、理解の一助になるかと思われます。そうして根付き、それなりの市場となった感のある百合ですが、流行ってるし、まぁみてて楽しいから、という理由で消費しているかたには「いい時代になりましたよね」と申し上げるのみですが、そうでなくて、これを突き詰めていきたいんや!という方には、物心ついたころからサントラとムード音楽好きである自分が、ラウンジブームの始まりから終わりまで接した経験を踏まえ、「あまり深くかかわりすぎることなく、つかず離れずの適度な距離を取りつつ自分なりの知識と理解を深め、同じ嗜好をもった者同士の争いをできるだけ避けましょう」と提案します。