空色

skb_mate022007-06-21

あるサイトの「作家の読書道」というコーナーで、中原昌也が「(日本のエンタメは)一般に媚びるかオタクに媚びるかしかない」と言い切っているのを読み、わたしが書くものって一般とオタクのどちらに媚びたものなんだろうという興味が湧いたので、一晩で短篇をひとつ書きまして。ここへ上げるにはサイズが大きすぎるので、「少女イデア」へアップしました。「novel」というメニューを新設しまして、そちらへ格納してあります。最終更新が06年6月21日ということで、ちょうど1年間放置のすえの更新となります。お時間の許すかたはぜひご一読くださり、「これは一般媚びでしょ」とか「いや、やっぱオタ媚びだろ」とか「媚びる媚びない以前にこれのび太の作文?」とかご教授いただければ幸いです。よりよい製品づくりのための参考にさせていただきます。ちなみに「作家の読書道」には岩井志麻子とか川上弘美とか綿矢りさとか森絵都とか北村薫とか三浦しをんとかあさのあつことか恩田陸とか角田光代とか桜庭一樹とか豊島ミホとか折原みとなどのインタビューも掲載されています。興味のあるかたはどうぞ。ていうか、桜庭一樹の愛読書が自分とかぶりまくっていてこそばゆいです。


追記 底本にしたわけではないけれど、なんとなく太宰治の「女生徒」を読み返してへこむ。これがその後の少女まんがのお手本になったといわれているのもよくわかります。そこに書かれているのは、隅からすみまで、まぎれもない少女でしかありえなく、もう少女イデアなんて旗を掲げることなく、これを読めばええねんって気にすらなってくる。それもそのはず、「女生徒」は当時19才の有明淑という女性が太宰に送った日記を再構成したもの。戦前のリアル女学生が、その心情を赤裸々に綴った文章なわけで、どうあがいたところでかなうわけないですよね。いま読み返してみても、「朝は、なんだか、しらじらしい。悲しいことが、たくさんたくさん胸に浮かんで、やりきれない」ってくだりがもうまんま「Last Regrets」やんとか、「美しさに、内容なんてあってたまるものか。純粋の美しさは、いつも無意味で、無道徳だ。きまっている。だから、私は、ロココが好きだ」ってくだりなんかもうまんま「下妻物語」とか「美しければそれでいい」やんとか思われ、ああ、もっと透徹した視線を獲得したいものであるなぁと思う反面、自分には「人扱いしない人でなしの心であるところの『萌え』」((C)タカハシマコ)があるのだし、それでいいかという気にもなってくる。そういえば、川端康成は「女生徒」を「可憐で魅力的で高貴である」と評したそう。その川端もミッション系女学校を舞台にしたエスものの「乙女の港」という少女小説を書いているのだけれど(挿し絵は中原淳一によるもの。マリみて厨とか、以前ここでも激賞した堀辰雄の『風立ちぬ』みたいなものが好きな人が読んだら目から血が出るかも)、それも当時、弟子であった中里恒子の原作を監修したもの。いまだったらゴーストライターだなんだと騒がれるのかもしれないけれど、当時はそういった名義貸しなどはごくふつうにおこなわれていたようで、有明淑は太宰から「女生徒」の掲載された「学界」と単行本を送られて、とても感激したそうです。というか、いわゆる文豪たちも「少女の瞳に映る風景」を求めてやまなかったのだなぁとしみじみ思ったりしつつ、ナンジャラホイと思った。ばかばかしい。わたしは、少し幸福すぎるのかも知れない。