噂の二人

skb_mate022007-06-22

ある画像掲示板群で、映画『噂の二人』スレに出食わして少々面食らう。これは名匠ウィリアム・ワイラーが大ヒットした『ベン・ハー』に次ぎ、『ローマの休日』以来8年ぶりにオードリィ・ヘプバーンを起用して臨んだセルフリメイク作品。共演にはシャーリー・マクレーンを配しており、往年の女優好きには堪えられません。しかしヘプバーンのキャリア的には、同年公開された『ティファニーで朝食を』の影に完全に隠れたかたちとなっており、内容の地味さも手伝って、知名度はすこぶる低いものとなっています。何ゆえそういうことになったのかというと、『噂の二人』は当時まだハリウッドでもタブーとみなされていた同性愛を扱った作品だからで*1、その完成までは紆余曲折があったようです。ハリウッドで初めて同性愛を匂わせるような描写をした映画といえば、以前にも言及した『クリスチナ女王』だと言われていますが、同性愛そのものを主題にするなど、まだ考えられない時代だったのでしょう。いまだ倫理観だの生理的嫌悪感だの、いちばん理解に苦しむ自然の摂理だの(生殖を目的としない性行為だってじゅうぶん「不」自然でしょ)を引きあいに出し、同性愛描写を否定する人ような人もいるにはいるんでしょうが。とまぁ、ものわかりよさげな態度を取っているわたしですけど、いまのいままで『噂の二人』がレズビアンを題材にした映画などという認識は微塵もありませんでした。リア消だかリア厨だかの頃にテレビでみたことがあるきりで、おぼろげな記憶を必死でたぐり寄せてみても、それらしいシーンがあったかどうかまるで思い出せません。こうやって記事にするなら見直すぐらいしろよと、いま自分でも思いました。(デスノのLふうに)すみません。それでは、なにゆえ『噂の二人』がよくもわるくも黒歴史入りしてしまったのか。それは以下の引用文で、なんとなく見えてきます。

ハリウッドでは依然として同性愛に対する描写には厳しい検閲が行われていたが、ハリウッドの製作者や監督らの抗議によって1961年の10月3日に条件付きながらも同性愛を映画の中で描く事が認められ、『噂の二人』は性的規則が改正された後に映画協会の認可を受けた最初の同性愛を描いた映画となった。しかし、ワイラーは戯曲と同じようにマーサがカレンを愛していることが観客に分かるように物語を展開させるのは、アメリカの中産階級には刺激が強すぎると考え、二人の微妙な関係を示す多くのシーンを編集段階でカットしてしまう。また、ワイラーはマーサが自殺したあと、カレンとジョーが結婚するハッピー・エンディングにすることまで考えていたといわれている。そのため、同性愛描写はあたりさわりのないものとなり、この変更はヘプバーンとマクレーンを失望させたが、批評家やマスコミからはレズビアニズムを許容していると非難された。
素晴らしき哉、クラシック映画! - 噂の二人 The Children's Hour

おそらく、当時はまだその萌芽しかなかったフェミニズムを、女性同士の連帯やレズビアニズムのなかに見出していたヘプバーンやマクレーンは、けっきょくそれをうやむやにされてしまったことに失望したのでしょう。『クリスチナ女王』に言及した記事以来、がぜん登場頻度の高くなった淀川先生も煮え切らない描写にガッカリされたようで、失敗作と言いきっておられたようです。

出典はFLIX1990年8月号ですが、淀川さん本人の文章で、「ここに再びオードリーとシャーリー・マクレーンをもって今度はハッキリ「子供の時間」で封切ったが失敗した。オードリーとシャーリー。どちらもが演技を巧みに掴み出すエネルギーに欠けていたからだった。」と書いてあります。
しづのをだまき - 【映画】噂の二人

上記引用もとのコメント欄には『淀川さんは、映画からどんなに微かでも同性愛の要素をかぎだす名人で「太陽がいっぱい」はそうだと、大昔から言ってますし、「ベン・ハー」なんて、男同士の「可愛さあまって憎さ百倍」でガレー船にまで叩き込むような映画を、推薦している』などの書き込みもあり、氏の透徹したやおい脳の片鱗が伺われて、もうワクワクがとまらねぇかんじで最高です。しかし『噂の二人』のスチールやキャプチャ画像を物色してみますと、寄宿制女子校を舞台にしただけはありまして、どうにも抗えない魅力に満ち溢れた映画のように思えてならないんですな。参考になるのかならないのかよくわかりませんが、果竜という方がウェブで公開されている「プリズム」というまんがが連想されました。そんなところが「人扱いしない人でなしの心であるところの『萌え』」((C)タカハシマコ)をもつものの業なのだなぁと思いつつも、とにかくまずレンタルしてこなくちゃ、という考えに取り付かれているわけですが。こういう人間がひとりでもいれば、失敗作とかマイナーだとかいう汚名を返上するまでにいたらなくても、供養ぐらいにはなるんじゃないかな、なんて。


追記というか私信

1930年、スコットランド人ウィリアム・ラフヘッドは実際に起きた犯罪を集めたアンソロジー「バッド・コンパニオンズ」に『閉ざされた扉、あるいはドラムズヒュー事件』を発表。 ハードボイルド作家のダシール・ハメットは、このエディンバラの女子学校でオーナーがレズビアンだと噂された為に学校が閉鎖に追い込まれたという話を読んで、愛人のリリアン・へルマンに戯曲化することを提案。ヘルマンはこの話をもとにして三幕の戯曲『The Children's Hour (子供たちの時間)』を発表。 34年にブロードウェイで上演されると絶賛を浴び、レズビアニズムをテーマにした話題も手伝って601回もの公演を記録する大きな成功を収めた。
素晴らしき哉、クラシック映画! - この三人 These Three

言いだしっぺがダシール・ハメットというこの意外な事実。それにつけても、ブロードウェイでは絶賛されたというあたりから、当時の西海岸と東海岸の文化的相違を汲み取ることができますね。演劇界より映画界が閉鎖的というのもあったんだろうけど。ちなみにニール・サイモンの書いた戯曲『ローズのジレンマ』は、そのリリアン・へルマンとダシール・ハメットがモデルなのだそうです。

*1:カップル文化が支配的な欧米においては、女性同士の友情を主題とすることも好ましいこととはされていなかったそうです。わたしの記憶によれば、ベット・ミドラーバーバラ・ハーシー主演の『フォーエバー・フレンズ』が大ヒットしたあたりからそういった内容の映画が増えてきたように思います。そういえば明菜と安田成美が主演したテレビドラマ『素顔のままで』は、明らかに『フォーエバー・フレンズ』を意識してつくられていましたね。