少女イズム その2

4. その『乙女のロマンス手帖』で触れられていて、そういえば『ブラッドハーレーの馬車』にも出てきたけれど、たぶんこれって日本独特の文化だよなぁ、と思ったのが少女歌劇。

日本独特、あるいは日本で特に隆盛を見た芸能で、1911年(明治44年)に始まる白木屋少女音楽隊、もしくは「少女歌劇」の語を初めて冠した1914年(大正3年)からの寶塚新温泉の少女歌劇を嚆矢とし、大正時代から昭和前期にかけては多くの少女歌劇団が各地に誕生して特に盛んであった。なかでも寶塚少女歌劇團(兵庫縣川邊郡小浜村)、大阪松竹少女歌劇団(OSSK・大阪市)、松竹少女歌劇団(SSK・東京市)によるものは日本の三大少女歌劇とも呼ばれて大きな人気を獲得し、1930年代のレヴュー全盛期をリードした。
少女歌劇 - Wikipedia

残ったのは宝塚とOSKだけですよね。どちらも関西に本拠を置いている点が興味深いです。一世を風靡した浅草オペラとの関連とか、いろいろ調べがいがありそう。

近代宝筭の夜明けは温泉とともに訪れました。しかし、その宝筭に夢色の彩りを添え、大きく輝かせたのは、なんといっても宝筭少女歌劇です。大正2年3月23日から60日間、宝筭では婦人博覧会が初めて開催され、翌3年4月1日には婚礼博覧会が始まり、その余興として宝筭少女歌劇の幕が開きました。そしてこの日は、近代的レクリエーション都市としての宝筭の基礎が置かれた日でもありました。約9カ月間の指導と学習の結果を、少女達はパラダイス室内水浴場の脱衣場を改造した舞台で演じ、観客はプールの上に張った客席に座ぶとんを敷いて観覧しました。最初の公演曲目、歌劇『ドンブラコ』、喜歌劇『浮れ達磨』、ダンス『胡蝶の舞』は、かわいらしい14、5歳の少女がオーケストラに合わせて独唱や合唱をしながら踊るという珍しさで、予想外に歓迎され、5月30日には初公演の幕がおりました。
宝塚温泉 - 宝塚温泉物語 第3章 少女歌劇と宝塚新温泉

宝塚もまず温泉ありきだったのか! 『フラガール』における常磐ハワイアンセンターが、宝塚温泉といったところでしょうか。

そもそも「少女歌劇」というものが、まだ若い女性の男女関係に敏感かつ神経質であった時代の社会を反映したもので「良家の子女」の観劇を許容させるその抵抗を軽減し取り除いていたことも見落としてはならないでしょう。つまり、女性が男性を演じることで(江戸時代以来の)良家の婦女の「役者狂い」のような反道徳的なリスクを回避し、良家がその子女に観劇を許す(つまり良家の子女に金を使わせる)というひじょうにデリケートな問題をクリアすることができたという点、それは「良妻賢母」的な学園の教育方針と相俟って、宝塚歌劇団の「上等」なブランド・イメージに寄与したことでしょう。ミーハー相手の映画や場末の芝居よりもどこか高級なイメージを身におびることに成功したのです。
宝塚歌劇団が、松竹少女歌劇団など他女性歌劇団を押さえ、現在に至るまでトップシェアを守り続けることができたのはなぜか? - 人力検索はてな

これはたいへん興味深い考察です。つまり「おともだちと遊びに行くの」「ともだち?まさか男じゃないだろうな?」ってことですよね。現代の宝塚にこの考察が適用されるわけではないでしょうけれども、たとえばジャニーズのアイドルたちに共通する無菌感や無毛感を考え合わせると、少女マンガがやおいへその座を明け渡し、それらが地下化した(せざるをえなかった)ように、時代とともに移り変わってきた社会の性意識を辿ることができるかもしれません。



5. 少女歌劇の代わりというにはちょっと苦しいかもしれませんけど、海外で少女だけを集めた芸能といえば少女合唱団。というわけで、ロシア、ウクライナスウェーデンなどの少女合唱団をいくつか。愛らしさここに極まれりといったかんじ。
Oxford Girls' Choir
上記はオックスフォード少女合唱団の公式サイト。少女合唱団のレパートリーといえば、通常は有名な聖歌や賛美歌、地元の民謡が多いのですけれども、こちらはかのヒルデガルト・フォン・ビンゲンの作品を積極的に取り上げているところが激アツです。



6. 民族衣装つながりで美坂姉妹など。