death is not the end of all

skb_mate022008-02-29

そろそろ働きたくない病がマックスにさしかかろうとしている今日この頃。寄せては返す波のような睡魔に抗いつつ、H2O 〜FOOTPRINTS IN THE SAND〜 第七刻「ほたる」を視聴。これはやばかったです。自分で「時ノ音の精霊」と名乗るなんだかよくわからない不思議っ娘、音羽の秘密が明かされた回。

間もなく行われる村祭りのため、浴衣を縫う女子生徒たち。そんな折、幼い頃に死別した妹の部屋を整理していたひなたは、古びたスケッチブックを見つける。表紙に「時ノ音の精霊の物語」と書かれたそれは、幼かった姉妹の宝物だった。そこへ祖父が現れ、口汚くひなたを罵しる。祖父の叱責と、過去の記憶が、ひなたを苦しめる。翌日から、ひなたの姿は学園で見られなくなった。心配した琢磨たちは、ひなたの家を訪れるが・・・。

内向的で人見知りなひなたの妹、ほたるの唯一の楽しみは、物語を紡ぐこと。その内容は、時ノ音の精霊である音羽が約束の人を連れて村を訪れ、村人たちを幸せにしてくれるというもの。それが時ノ音の精霊の物語だったわけですな。しかしなんでもそつなくこなすひなたに対し、ほたるは強いコンプレックスを抱いていました。そして周囲も、できの悪い妹のことを疎ましく思っていた。けれどひなたは、「自分にはかように素敵なお話を考えることはできない。それができるほたるは、もっと自分に自身を持たなければならない。最初からできないと決め付けてしまっては、できることもできなくなってしまう」と励まします。そしてある日、ほたるを喜ばせんがため、川辺に咲く花を手折ろうとしたひなたは、足を滑らせて転落。まるでオフィーリアのように、その短い生涯を閉じてしまいます。あと取り娘を失った祖父は、苦し紛れにほたるをひなたに仕立て上げ、亡くなったのは妹のほたるであると喧伝。生涯ひなたとして振舞うよう、ほたるに厳命。でまぁ、軟禁状態にされた現ひなたのもとへノートが届けられ、その中にははやみからの手紙も入っていました。それを読んで「できないと決め付けてしまってはできるものもできない」という姉の言葉を思い出した現ひなた、書きかけだった時ノ音の精霊の物語を完成させ、祖父の怒りにもめげず周囲に実は自分が妹のほたるであることを明かします。それを受け入れてくれたクラスメイトたち。今は約束の人である琢磨にしかその姿が見えない音羽、すなわちひなたは、その光景に満足したのでした。というわけで、音羽は亡くなったひなただったんですね。琢磨にとっての音羽ピノキオにとってのジミニー・クロケットのような存在であると思われますが、その姿を見ることができないほたるにとっては、果たして何になるのでしょうか。ていうか、ほんとわたしは姉妹ものに弱いなぁってことを、改めて自覚させられたエピソードでありました。今後の展開を注意深く見守っていきたいところです。


追記 「銀色の巨人 - 藤寿男の後悔日誌OMMZ」を読んで連想したのが、『パタリロ!』の「地球人の課題」というエピソード。あらすじは「パタリロ辞典:地球人の課題 (パタリロ!25)」を参照ください。こういう「視点次第で善にも悪にもなる」的な感覚って、アジア特有のものらしいですね。インドとかだと、地域によって善神だったり邪神だったりする神がいたりするし。キリスト教文化圏はまず絶対神ありきなんで、相対的な善悪を描きにくいのかな。ちなみに『パタリロ!』的神エピソードは「忠誠の木」だと思います。オレンジロードにも似たようなエピソードがありましたけど、やっぱり主従ものには及ばないなと。