吉野の姫

1. 「2004-08-08 自画自賛」にてさらっとご紹介させていただきましたイラスト・フラッシュアニメサイト「MARU PRODUCTION」に『吉野の姫』というムービーが置かれているのですけれども、これがもうすさまじく可愛いうえに完成度も高い作品でして。これに張れるのは帝国少年の『雨と少女と私の手紙』くらいじゃないかと思うわけですけども、MARU PRODUCTIONの丸山薫さんはたしか女性だったはず。ひたすらにかわゆいおにゃのこの絵をしたためる、そんな彼女にダブルで萌える楽しみもあったりなかったり。
MARU PRODUCTION/Flash/吉野の姫
なんでいまこの作品に言及したかと言いますとですね、以前奴股とメッセでやり取りしているときにツンデレの話題になりまして、彼はこの『吉野の姫』を引き合いに出したかったのだけれども、なんというタイトルだったかを失念していたんですな。それを思い出してわざわざ知らせてくれたんです。で、わたしも「これヤバいよね〜」と思いまして。考えてみれば、YouTubeからこちら動画共有サイトを日常的に使うようになったいま、わざわざいろんなサイトに点在するフラッシュアニメを観にいく人も少なくなったんじゃないか・・・と。じっさい、わたしも巡回したり開拓したりといったことをあまりしなくなりましたし・・・時間がないってのもありますけど。そのへんの現状ってどうなっているんでしょうね。

マール王国の人形姫 天使が奏でる愛のうた

マール王国の人形姫 天使が奏でる愛のうた


2. さらには「gd 田舎牧師の日記 - そこに顔があるかどうか」へ『教会と同性愛 互いの違いと向き合いながら』という本についての記事を書いたので是非読んでというお知らせが。かいつまむと、もともとは蔑称であったクィアという表現を自称するようになったあるビアンの言葉を引用し、とくに同性愛に対して厳しい姿勢を取ってきたクリスチャン自身、もとは迫害される立場であり、クリスチャンという呼び名も蔑称であったことを連想したと。いま手許にある「関西クィア映画祭」のパンフレットでは、クィアという語のことを以下のように解説しています。

クィアとは英語で「変態」のこと。レズビアン・ゲイ・バイセクシュアル・トランスジェンダー(LBTG)など、性の領域で「ふつう」ではないと考えられているあり方への蔑称です。差別的なクィアという言葉を逆手にとって使うことで、様々な少数派を肯定し、LBTGに限らず「普通ではない生き方」をポジティブに捉え直す意図があります。

ヒップホップグループのNWA(ニガーズ・ウィズ・アティテュード)もそうですし、シューゲイザーにしてもオタクにしても、もとは蔑称だったわけですよね。で、ちょっと思い出した記事がありましたんで、ひとつ引用しておきたいと思います。

私たちは、なにがしかの逆風が吹く環境の中で、その逆風を真に受けるのではなく、適宜かわしながら適宜攻撃をすることをもって、クィアと称してきました。その意味では、あまりにまともに逆風を受け止めようとしているように見える映画が作られてきている。ところが、実は、こうした物語を語りだしている本人たちにはその種の逆風は吹いていないわけです。逆風がないところから語りだすがゆえに、妙な屈折を経た上での、クィア的な感受性を発揮する必要もない。ゲイ・ピープルの側も逆風が適度にやわらいでいるからこそ、そこに素直に共感できてしまうということが起こっているのかもしれません。
新装開店☆玉野シンジケート! - 『中国の植物学者の娘たち』(ダイ・シージエ監督)