女ともだちは、恋人よりも愛おしい

1. きのう思わず尼のカートにぶち込んだ2冊。


女ともだち

女ともだち

角田光代井上荒野栗田有起唯野未歩子川上弘美さんら人気作家5人が描く「女ともだち」の物語。共通テーマは「派遣」。派遣先で出会った仲間たちの「その後」、派遣社員としてやって来た謎めいた人、30歳を迎えた派遣女子の「正念場」、憧れのキャリア社員の秘密を知った派遣、派遣先で知り合った男性から逃げた「あたし」……。5人5様の「職場と人間模様」が女性作家らしい繊細さと大胆さで魅力たっぷりに描かれた小説集。

あくまで友情話なのですが、帯裏の「女ともだちは、恋人よりも愛おしい」という惹句がもうなんというかね。社会人百合、たとえばきづきあきら+サトウナンキ「エビスさんとホテイさん」あたりがお好きな方はチェックすべき。おおそうだ、社会人百合といえば、ガールズラブ中心創作サイト「Lilien」のまち子さんシリーズを外してはいけない。ほんとアホみたいによく萌えるので、騙されたと思っていちど読んでみてください。


天空のリリー (一迅社文庫)

天空のリリー (一迅社文庫)

1941年、第二次世界大戦中のソビエト連邦。反ドイツの機運が高まるなか、エンゲルス基地では女子パイロットによる飛行機連隊が創設されようとしていた。志願したのは、10代から20代のまだ若い少女たち―。戦闘機パイロットを目指す仲間、ライバルたちとともに、空に憧れ、空を愛する少女、リリー・リトヴァグの挑戦が始まる。かつて実在した、女子だけの飛行機連隊を舞台に描く、空戦×歴史ファンタジー登場。

「2008-08-13 白薔薇」を参照してくださいませませなのですよ、はわわ。


2. ついったーで「萩尾望都作品は百合寄りに感じるが、竹宮惠子作品は完全にBL的だと思う」というつぶやきを拾い、「2009-09-28 魔法少女の鉄槌」にて引用した萩尾望都吉本隆明の対談を思い出しまして。先日すこし触れた『少女論』のなかで、本田和子は「雪の子」と「ビアンカ」を例にとり、「少女に意志される少年像」が初期萩尾作品の根幹をなしていて、それこそが少女の本質たるのではないかと指摘しています。それはギリシャ神話に登場する可憐なペルセポネの別名"コレー"、すなわち"娘"が、もともとは凛々しいアテナや美しいアフロディテなどの少女神たちすべてを指す呼び名であったように、それら属性のすべてを含む原少女であり永遠の少女ともいうべき存在なのではないかと。それを踏まえて考えてみると、「少女に意志される少年像」、少女にとっての自身のイデアともいえる少年像にこだわったのが萩尾望都であり、異性としての少年に透徹したまなざしを向けたのが竹宮惠子だったのかもしれないなと。ちなみに、「少女に意志される少年」を少女自身とその肉体のうちに見出だしたのは有吉京子ですね。『夢・メッセージ』の中に「女が女にひかれるのはね、相手の内に自分が失くしてしまった少年の頃の記憶をみるから。まだどちらの性ももたない、中性的な身体、そして両方の性をも共有する、両性具有の魅力。そこへいきつく前の、どちらでもない時期が好き。あなたにひかれるのは、そういう身体をもっているから。本物の、ね」という台詞が出てくるのですけど、これほど"少女"、そして"少女"と"百合"の親和性をわかりやすく言い表した文章には、なかなかお目にかかれないと思います。萩尾作品でいうと『11人いる!』のフロルの設定が思い出されますね。人類でいうところの性徴を迎えるまでは、性的に未分化っていう。まさに『シムーン』ですが。そして山岸凉子作品からはすごく母性を感じるのだけど、どうしてだろう? 山岸作品で永遠の少女をテーマにしたものといえば「時じくの香の木の実」ですが、萩尾作品が死をもって永遠としがちなのに対し、実際に不老不死を持ち出してくるあたりがそれを読み解く鍵と言えそうなんだけど・・・。すっごい余談ですが、やっぱりアルテミスとカリストーって百合的にあ・や・し・いと思えてならないんですよね。検証したいと思いつつ、なんか延び延びになってるなぁ・・・。